「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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#検察なう (307) 「一審無罪判決文解題」 6/27/2013 

#検察なう (307) 「一審無罪判決文解題」 6/27/2013

(強制捜査から1654日、検察控訴趣意書提出期限まであと4日)

私の控訴審が近々始まります。その前に一審の判決文を振り返ってみます。

判決文は68ページに及びますが、これほど単純な事案でも、無罪判決ともなるとこれほどのボリュームになるのかと感じます。

まず、検察官の主張は「被告人がほ脱の故意を有していたことは明らかである」、弁護人の主張は「被告人は、ほ脱の故意を欠き、無罪である」とされ、その主張が真っ向から対立していることが明らかにされています。争点は、「本件の主たる争点は、過少申告のほ脱の故意の有無である」、その一点です。

過少申告は事実としてあるのですが、その過少申告の原因である株式報酬の申告漏れを、故意をもってわざとやったのかどうか、それだけということです。

ここで、過少申告をわざとやった、即ち、脱税をしたという検察官の主張を立証する責任は、検察側にあります。それは「合理的な疑いを越える程度に」確からしいことを証明する必要があります。誰が聞いても、「ははーん、なるほど、それであれば検察官が言ってることに間違いはないな」と思うように説明することが必要であり、「うーん、どっちかよく分からないな」という人がいれば、それは無罪とするというのが、刑事司法の大原則である推定無罪の原則です。

ただ、今回の事案では、「故意あり」とするには、悪意をもって脱税をしてやろうという意図まで必要ではなく、受け取った収入に比して、自分の納税額が見合わない程少ないという認識があれば足りるということにはご注意下さい。

判決文では、検察の主張に対し、弁護団の主張をぶつけ、どちらが「真実らしいか」を裁判官が判断していきます。過少申告の認識に関わる事情として、「ストック・オプションの行使状況」「メモランダム(株式報酬受取通知)、メール等の受領状況」「株式報酬の権利付与及び入庫時点の各株式数の関係」「税に関する被告人の知識」「『財産及び債務の明細書』の記載状況」「源泉徴収票の発行と株式報酬の入庫の先後関係」と細かく項目立てて、つぶさに検証しています。また、給与収入額及び申告額の差額の認識に関しても、各年の、年棒更改、株式報酬受取時、申告時といったタイミングでの私の認識を、総額、株式報酬、現金賞与と分けて検証しています。

そしてその検証の結果、検察の立証は合理的な疑いを越える程度には立証されておらず、被告人(私)、弁護側の主張が不合理とは言えないという結論の結果、無罪判決に至ったものです。

検察の主張の根拠となった同じ証拠を、弁護側も見ています。そして同じ証拠を検察側は、有罪方向に解釈し、弁護側は無罪方向に解釈しています。それは証拠の評価の問題ということです。ここで重要なことは、検察がその主張のための根拠とする証拠は全て「過失であっても矛盾のない証拠」であり、故意でなければ説明が不可能というものは一つとしてないということです。

公判中のブログ、特に検察論告及び弁護団最終弁論の解説でも述べたところですが、検察は、公判で明らかにされた私が脱税をしたとすると不合理な事実には全く言及していません。つまり、「この事実を元にすればむしろ故意ではなく過失だろう」ということには目をつむり、自分の主張に有利な事実のみを抽出して「これらの事実を解釈すると故意である」と一方的な決め付けをしているものです。

裁判官は、判決の中で検察提出の証拠の評価において「後記のとおり、被告人が過少申告の認識を有していなかったと解する方が自然と思われる事実関係が存在することなどに照らすと」と述べ、無罪方向の証拠も勘案していることを伺わせます。その部分を抜粋引用します。

「本件では、被告人が過少申告の認識を有していなかったと解する方が自然と思われる事実関係が複数存在する。

(1)確定申告の経緯

被告人は、依頼していた税理士から無申告の状態を告げられると、弁護士を通じて申告に必要な書類を取り戻し、平成14年から平成17年分までの分を別の税理士に依頼して過年度申告をしているが、この依頼の後に平成18年度分の申告を自ら行い、しかも、この平成18年分については申告期限後に確定申告書を提出している。被告人は、過年度申告による影響等を特に税理士に確認していなかった。

以上を前提に検討する。被告人は、平成17年には既に申告すべき株式報酬を得ていたものであり、この時点から過少申告の認識があったとすると、平成14年から平成17年までの巨額の無申告収入を過年度申告すると同時に平成17年の株式報酬について過少申告を行ったことになる上、概ね同じ頃、上記過年度申告と共に、平成18年分についても過少な期限後申告を行ったことになるのであって、被告人は税務署の関心を引きやすいと考えてもおかしくない行動をあえて取りながら平成18年分について過少申告をしていることになる。しかも平成18年分については、被告人が自ら確定申告書を作成しており、申告額を認識していなかったと弁明することがほとんど不可能な手段を選択していることになる。以上に加え①被告人が過年度申告に対する影響等について特段自ら確認していないこと、②過年度申告をせずに放置したままで税理士が懈怠したと弁明する方が過失による申告漏れを主張するには無難な手法であったともいえることなどにも照らすと、このような確定申告の経緯は、被告人に過少申告の認識がなかったと解する方が自然な事情といえる。

(2) 税務調査開始後の被告人と税理士のやり取りの状況

被告人は、平成20年11月5日、国税局による税務調査が開始したことを税理士からメールで知らされると「ストック・オプションは支給されていなかった」「全ての報酬は税務署に提出した給与明細で明らかなはずである」(なお、ここでいう「給与明細」とは、源泉徴収票の意味と解される)「付与されたファントム・ストックという株式に対する経理への指示は退職時(退職後)にメール又は電話で売却を指示した一度だったと思う」といった趣旨のメールを税理士に送っていることが認められる。

そこで当該メールの真意が問題となるが、①知人や税理士のメールには、被告人にとって一見不利益と思われるような内容もそのまま記載されていること、②被告人は、その後も税理士との間で長期間にわたって極めて多数のメールのやり取りをしていることが認められるが、被告人の過少申告の認識を窺わせる内容がほぼ皆無であり、むしろ被告人が供述する認識に沿った内容となっていること、③被告人がメールでの連絡にこだわっている様子も窺われないことなどの諸事情が認められる。これらに照らすと、被告人があえて虚偽の内容を証拠として残すためにメールに上記内容を記載したとは解し難く、基本的にはその時々の真意に基づいて記載したものと解するのが相当である。

そうすると、被告人は、税務調査の開始段階において、株式報酬の内容やその売却回数について失念していたことが認められることになる。被告人が海外口座に支給される株式報酬については発覚しないであろうという甘い考えを持っていたために、申告時に過少申告の認識を持ちつつ、その内容を忘れてしまったということを想定することも不可能とはいえないが、上記事情は、申告時において、過少申告の認識を有していなかったために印象に残らず失念してしまったと解する方が自然というべきである。」

以上が判決文からの引用ですが、これらの「過少申告の認識を有していなかったと解する方が自然と思われる事実」が無罪判決の根拠ではありません。

この判決文で一番注目すべき点は、弁護側が被告人質問や最終弁論の中で指摘してきた「過少申告が過失でなければ説明が困難あるいは説明不可能な事実」を敢えて排除していることです。

この事件がもし犯罪であるならば、その犯罪行為の様態は、「社内において海外口座に支給される株式報酬については税務署の調査が及ばないといった雰囲気があり、被告人が発覚しないであろうと甘い考えを持っていた」「他の従業員の無申告を知っていた等の事情から、せいぜい発覚した場合には他の者と同様に修正申告すれば足りる」という間抜けなものです。犯罪自体が間抜けなものなので、例え「脱税をしていたのであれば間抜けな行動」もそれほど不合理とは言えない、というのが排除の直接的な理由です。

しかし、その排除の真意は、判決の結論の「弁護人のその余の主張を検討するまでもなく」とあるように、弁護側に無罪立証の責任はなく、検察の有罪立証が足りていない、だから推定無罪の原則により無罪の言い渡しをするというものです。検察の採用した証拠の解釈そのものが必ずしも正しいとは言えないとするのが、無罪判決の根拠です。

判決文の結論を引用します。

「結論
以上の通り、過少申告の認識がなかったとする被告人の供述を否定することができず、その他全証拠を検討しても、被告人に所得税のほ脱の故意があったと認めるには合理的な疑いを入れる余地があるといわざるを得ない。

したがって、弁護人のその余の主張を検討するまでもなく、本件公訴事実について犯罪の証明がないことになるから、刑事訴訟法336条により被告人に対し無罪の言渡しをする。」

弁護側に無罪立証の責任はないことを確認した上で、検察の有罪立証は十分ではなく、その有罪には合理的な疑いが入る余地があるゆえ無罪である、とする推定無罪の原則に非常に忠実な味わい深い判決文です。

検察は、この判決文の完成を待つことなく、結果のみを不服として控訴しています。それは控訴すれば高裁裁判体は必ず検察の主張を受け入れてくれるという見込みに基づくものです。そうした阿吽の呼吸を地裁で否定された上での検察控訴を、高裁の裁判体がどう判断するか、是非ご注目下さい。

6/27/2013

















ここをクリック→ Wikipedia クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

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category: 訴訟記録等

2013/06/27 Thu. 05:07 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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