「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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#検察なう (328) 「弁護団控訴答弁書ハイライト」 9/9/2013 

#検察なう (328) 「弁護団控訴答弁書ハイライト」 9/9/2013

(強制捜査から1728日)

先週金曜日9月6日、弁護団による控訴答弁書が裁判所に提出されました。

答弁書作成に当たり、私は新弁護団にお願いしたことがあります。ファースト・ドラフトの感想を求められたので、「先生方であれば100点の答弁書は間違いないと思います。しかし私は120点の答弁書を期待しています」とお願いしました。

ファースト・ドラフトの段階から、数回のミーティングと数回の推敲を経て先週提出された控訴答弁書は間違いなく120点の出来だと思います。検察による控訴趣意書は素人の私ですら突っ込みどころ満載でしたが、答弁書は素人の私はぐーの音も出ない位、格調高い法律論満載です。多分、その両者の違いは、法学部試験の学生の答案と教授の模範解答くらいあると思います。

検察控訴趣意書の主張の骨子は、第一審判決が事実誤認であり、それを裁判所に受認してもらうために第一審判決が論理則・経験則違背であると主張していることは以前のブログで述べたところです。

この「論理則・経験則違背」というのは、誰が考えてもおかしいという程ハードルは相当高いもので(そのため、検察は「一審裁判体は確定申告が何たるかを理解していない」という破れかぶれな論を展開しています)、それを第一審と同じ証拠を基に主張するというのはかなり困難を極めます。そのため、控訴する側の通常取る戦略は、新規な証拠を請求し、その採用をきっかけに、本来事後審(新たな事実認定をせず、原審の当否のみを問う)の控訴審において続審的に新たな事実認定を控訴審裁判体に求めるものです。

控訴答弁書の冒頭では、その大前提を確認しています。

「検察官の控訴が容れられるためには、当審において、事件の核心をなす事実(昭和34年最高裁判決)、すなわち被告人の故意の存在について、法律上の要件を満たす新証拠の取調べを行い(昭和31年最高裁判決)、これにより、第一審無罪判決の認定が論理則、経験則等に照らして不合理であることを具体的に示す必要がある(平成24年最高裁判決)のであり、このいずれかが欠けるときには検察官の控訴は棄却され、第一審の無罪判決が維持されなければならない。」

どうです?しょぼい検察の主張を唐竹割りに一刀両断で、控訴棄却を謳っているのがお分かりかと思います。

検察が控訴趣意書で新証拠として提出してきたものは次の5点です。

1) 「確定申告の手引き」
一審裁判体をして確定申告が何かを分かっていないという主張のため。

2) 平成18年確定申告のための税務署HPのスクリーンコピー
不動産収入の申告漏れが故意であったという主張のため。

3) 私のブログ
証人予定されていたシンガポール経理部スタッフが身体的脅威を感じて出頭に応じなかったという主張のため。

4) 担当税理士の捜査報告書
私の担当税理士が税務の知識に欠け、私に騙されやすかったという主張のため。

5) シンガポールUBS担当者からの利子入金通知のメール
利子収入の申告漏れが故意であったという主張のため。

これら証拠を基にした検察の主張はそもそも全く根拠がないものですが、これらの中に、会社からの株式報酬の申告漏れが故意であったという事件の核心をなす事実が一切ないのは明らかです。そして更に、非常に重要なことは、これらの証拠が第一審で提出可能であったことです。

刑事訴訟法第382条の2第1項は、事実誤認を理由とする控訴申立ての場合に、「やむを得ない事由によって第一審の弁論終結前に取調を請求することができなかった証拠によって証明することのできる事実」は、控訴趣意書にこれを援用することができると規定しています。つまり、第一審の段階で、請求できたはずの証拠は控訴審では証拠調請求できないということです。後出しジャンケンはなしのルールです。

上に挙げた検察が証拠調請求予定の新規証拠は、いずれも第一審で提出可能でした。それゆえ弁護団は、裁判官はそもそも証拠調請求を受け入れることはできないと主張しています。

上記証拠1)「確定申告の手引き」に関しての弁護側の主張を引用します。

「原審裁判所が確定申告手続を十分に理解しない」という検察官の主張は、第一審裁判所を侮辱(愚弄)するものである。東京地方裁判所刑事部第8部が財政部であり、税務に関する専門部であることは公知であり、同部の裁判体は、財政事件について、日本の地方裁判所の中で最も専門的な知見を有するものである。そのような東京地方裁判所刑事部第8部の裁判体が、最も基本的な手続である「確定申告手続」を理解していなかったなどということはありえないことである。」

検察の主張がどれだけ問題外の更に外であるかをお分かりになって頂けるかと思います。

また、検察の主張するところの「論理則・経験則違背」の根拠のなさに関しては以下の通りです。

「検察官は、「確定申告を行う者は、当該年の自らの総収入に思いを致し、これを漏らさず把握するよう努め、しかも、その把握した収入が適切に確定申告書に記載されているか否かを確認するのが正に常識であり、社会人としての通常の行動である」と述べる。ここで言われている「思いを致し」「努め」「確認する」というのは申告制度が予定しているあり方かもしれない。しかし、確定申告をする者の大部分がこれを実践しているとは言い難いのが現実であり、たとえば、平成19事務年度当時の所得税の着眼調査でも、6713件の調査中、4003件(59.6%)の申告漏れ等が発覚している(公知)。このように、検察官の主張する確定申告のあり方が「正に常識」であるとか、「社会人としての通常の行動」であるなどと言い切ることはできないのである。」

検察が主張するように、確定申告をするものはすべからく収入を把握しているというのであれば、全ての過少申告は故意による脱税ということになります。つまり世の中の納税者の6割が脱税犯というのが検察の論理です。

控訴答弁書では、更に検察の経験則論の欠陥を指摘しています。

「考慮すべき経験則は、給与所得者がある年の給与所得を申告する状況に置かれると、大部分の人は、どのような理由から、どのような行動をとるのか、という点である。この点、大部分の人は、1年間の全ての給与所得が記載された書類は源泉徴収票であると認識しているため、源泉徴収票の記載に従って自ら申告を行うか、源泉徴収票を税理士に送付して税理士に申告を委ねるかである、という経験則が存する。しかるに、検察官の経験則論は、かかる重要な経験則を論じておらず、致命的な欠陥がある。」

会社からの給与の申告のためには、源泉徴収票が全ての給与を反映したものであるという認識がサラリーマンの常識ではないでしょうか。会社勤めの方は是非考えてみて下さい。源泉徴収票を年末に会社からもらった時に、そこに記載されていない会社からの給与があるなどと普通思うでしょうか?

更に苦し紛れの検察の主張に対する攻撃が続きます。クレディ・スイス証券では税務調査対象者約300人のほとんどが株式報酬を修正申告、約100人が完全申告漏れ、そのほかの外資系証券でも同じような状況でした。検察の主張は、「被告人のほ脱の故意を認定するに当たり、およそ他の従業員の認識は関連性がない」としています。私と同じような状況にあった者を経験則としないで、世の中一般の確定申告者を経験則とする(しかもその6割に何らかの申告漏れが認められている状況)検察の論理は完全に破綻していると言えます。

「本件では、被告人の故意ないしその内容を認定するにあたって、参照しうる集団が存在する。それは、被告人と同一の会社に所属していた従業員である。本件では、従業員に支給する株式報酬について源泉徴収を行うべきクレディ・スイス証券株式会社が、これを行わず、しかも、従業員に税務申告の指導もしていなかったため、株式報酬支給対象者約300名中100人超もの従業員が株式報酬を全く申告していなかった。これらの者全員が悪質なほ脱犯であるとは、検察当局も主張していないのであり、これらの者は単に過失によって、自らの所得金額を知らなかったに過ぎない。」
「検察官は、被告人と同じ状況に置かれていたクレディ・スイス証券株式会社の他の従業員との比較を意図的に拒絶している。これは、その比較を行うならば、被告人の故意の不存在がより明確になるためであるが、最も比較に適した集団を排除して論を進める控訴趣意書に説得力がないのは当然である。」

しかし控訴審では、検察請求の証拠は「第一審でやむなき事由があって請求できなかったわけではない」ものでも裁判官の職権により採用される危険性があります。(注)

そのための防御も最高裁昭和59年9月20日の判例及び補足意見を引用し、控訴答弁書では講じられています。この辺りがかなり高度なところです。その判例、補足意見とは以下のものです。

「控訴裁判所は、第1審判決以前に存在した事実に関する限り、第1審判決の当否を判断するため必要と認めるときは、〔刑事訴訟法393条1項〕本文に基づき、裁量によってその取調をすることができる」
「職権調査といっても、控訴裁判所が記録並びに第一審裁判所が取り調べた証拠を検討し第一審判決の事実認定、刑の量定について首肯し難いところを認めた場合に限られることは当然である」

核心部分の立証に資するものでない証拠、つまり、あまりにしょぼい証拠は職権調査の対象にはならないというものです。

このように骨太で正面切っての大論断ですが、証拠の読み込み量(特に控訴審から加わった喜田村先生の)を窺わせる細かな指摘もあります。

「捜査報告書の翻訳は、「How are you? I hope you are fine.」を、「お元気ですか? 私は元気です。」と訳しているが、この英文は、普通、「こんにちは。お元気のことと思います。」といった程度に訳されるのであり、「私は元気です」などという意味はない。ここでは、この誤りは本件の争点に影響を与えるものではないが、このような初歩的誤訳の存在は、検察官の提出する他の文書の日本語訳に疑念を抱かせるものである。」

多分、裁判官も読み飛ばしてしまいそうな誤訳ですが、これはまさに人は見たい物しか見ない、聞きたい物しか聞かない「確証バイアス」の実例だと思います。そうした思い込みを検察自身露呈していながら、「会社作成の源泉徴収票や税理士作成の確定申告書を見た時に金額の齟齬に気付かないわけはない」という検察の主張はあまりに空疎なものです。

検察による控訴趣意書は、骨粗鬆症のような空疎な骨子にぶよぶよの箸にも棒にもかからない贅肉の主張をごてごてと付け加えて、80ページ以上に及ぶものでした。対して、弁護団控訴答弁書は骨太で筋肉質の22ページです。

細かな事実認定の主張は一切なく、法律論による門前払いを狙う戦略ですが、事実認定の土俵であれば、望むところと一審最終弁論が待ち構えています。

端から勝負ありと言いたいところですが、そうも言えないのが刑事裁判の恐ろしさです。贔屓目に見てもらう必要は全くありません。控訴審裁判体には、一審裁判体同様、ただ公平に判断してもらえればよいと思っています。

引き続きご注目頂き、ご支援のほどよろしくお願いします。

(注)
これまで何度かブログでも引用したWikipedia「控訴」の「実態」です。

「刑事訴訟では、「やむを得ない事由によって第一審の弁論終結前に取調を請求することができなかった」場合でない限り、新しい証拠を取調べないという刑事訴訟法382条の2、393条第1項を厳格に適用し、被告人の証拠申請を全て却下する一方で、検察官の証拠申請は認めるという不公平な取り扱いがあるともいわれている。」

ここをクリック→ Wikipedia 「控訴」

9/9/2013












法廷画が冊子化されました。正(第2回公判~第7回公判、400円)、続(第8回公判~第11回公判無罪判決、500円)の2冊です。代金(実費)は、無償で法廷画を描いてくれた漫画家にカンパされます。ご希望の方は sienhatta@gmail.com までご連絡下さい(送料9冊まで80円、10冊以上160円)。

#検察なう


ここをクリック→ Wikipedia クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

ここをクリック→ 「20分で分かる『クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件』~日本の司法を正す会ダイジェスト版」(動画)


ここをクリック→ 経緯説明 「真実は一つである」

ここをクリック→ 被告人最終陳述

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category: 訴訟記録等

2013/09/09 Mon. 05:20 [edit]   TB: 0 | CM: 2

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この記事に対するコメント

何が何でも有罪に?これが検察の威信と面子と考えているのでしょう?威信あるいは面子とはいったい何なのか?村木事件しかり、犯罪者に対し法を持って法の裁きを受けさせる機関が、いつしか犯罪者を創り出す組織に変わったような気がします。密室で脅し、恫喝を行い言葉尻りを捉え、ストーリーに合ったような調書を作成して裁判で有罪に持って行く手法がまかり通る日本の司法!何かやりきれないものを感じます。八田さんのように真っ向うから戦えず、個々の事情によってやむを得ず裁きに従っておられる方も沢山いると思います。裁判を継続するには長い時間とお金もかかります。相手は国家です。殺人事件など大罪を犯した人間は別として軽微な犯罪事案ではほとんどの方が司法と戦うことを諦めて我が身の運命と思い、胸にしまい込んでいるのが現状ではないでしょうか?敢然と司法と戦っておられる八田さんに敬意を表します。裁判を通じて検察司法の改革に繋がることを切に望んでおります。正義が正義であるようにそして真実が真実でありますように…
苦難が大きい程、悟るものも多いと思います。どうか最後まで頑張り抜いてくださいますようにいつも応援させていただきます。

名無し #- | URL | 2013/09/11 Wed. 13:09 * edit *

応援メッセ―ジありがとうございます。

彼らも一歩組織の外に出れば、普通の常識を持った善良な市民だと思います。しかし組織のインセンティブ付けが根本的に間違っているのだと思います。国税局査察部統括官が私に言った「告発することが我々の仕事です」という言葉は、彼らの真情を吐露しているではないでしょうか。検察も「起訴するのが我々の仕事、有罪にするのが我々の仕事」と大きな勘違いをしています。それは我々の全てが間違っていると分かるところですが、彼らの組織の中ではそれが常識になっているのだと思います。「無罪=負け、有罪=勝ち」という価値観を彼らが持っている限り、冤罪は構造的に生まれます。だからこそ証拠の全面開示も拒み、有罪に持ち込むだけの彼らに有利な証拠しか公判に提出しないということが日常化しています。それは郵便不正事件で見られた証拠の捏造と何ら変わらないものです。

裁判官となると、彼ら個人の自由心証に任されている以上、問題点は一般化するのは難しいと思われます。検察を盲信している裁判官もいれば、検察組織の恫喝に個人では対抗できないと思っている裁判官もいれば、ただ単に有罪を書く方が楽だという裁判官もいると思われます。メディアも刑事司法の問題をまともに取り上げないため(取り上げられないため)、国民の多くの方が深く認識していない重大な問題点であると思われます。「基本的人権の尊重」というのは言うまでもなく我々にとって最重要事項の一つですが、それが公権力によって日常的に蹂躙されているというのは看過できないものです。微力ではありますが、少しでも人々に警鐘を鳴らす役割を担うことができればという思いです。引き続きご支援のほどよろしくお願いします。

八田

> 何が何でも有罪に?これが検察の威信と面子と考えているのでしょう?威信あるいは面子とはいったい何なのか?村木事件しかり、犯罪者に対し法を持って法の裁きを受けさせる機関が、いつしか犯罪者を創り出す組織に変わったような気がします。密室で脅し、恫喝を行い言葉尻りを捉え、ストーリーに合ったような調書を作成して裁判で有罪に持って行く手法がまかり通る日本の司法!何かやりきれないものを感じます。八田さんのように真っ向うから戦えず、個々の事情によってやむを得ず裁きに従っておられる方も沢山いると思います。裁判を継続するには長い時間とお金もかかります。相手は国家です。殺人事件など大罪を犯した人間は別として軽微な犯罪事案ではほとんどの方が司法と戦うことを諦めて我が身の運命と思い、胸にしまい込んでいるのが現状ではないでしょうか?敢然と司法と戦っておられる八田さんに敬意を表します。裁判を通じて検察司法の改革に繋がることを切に望んでおります。正義が正義であるようにそして真実が真実でありますように…
> 苦難が大きい程、悟るものも多いと思います。どうか最後まで頑張り抜いてくださいますようにいつも応援させていただきます。

八田隆 #- | URL | 2013/09/11 Wed. 17:44 * edit *

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