「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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#検察なう (336) 「取調べの可視化を巡る再考察」 10/10/2013 

#検察なう (336) 「取調べの可視化を巡る再考察」 10/10/2013

(強制捜査から1759日、控訴審初公判まで36日)

取調べの可視化は、言うまでもなく刑事司法改革の重要なテーマの一つです。これまでの経緯と、これからの方向性に関する私見を述べたいと思います。

取調べの可視化は早くから重要視され、日弁連も長年その実施を求めて働きかけてきました。その動きが一気に加速したのは、郵便不正事件を受けて検察に対する世論の批判が厳しくなったことが契機です。

法務大臣の私的諮問機関として設置され、2010年11月に発足した検察の在り方検討会議では、当初、取調べの全面可視化法制化の提言がなされることが期待されました。しかし、江川紹子委員や郷原信郎委員らの努力にも関わらず、捜査当局側委員の抵抗は強く、東北大震災のどさくさに紛れた格好で、2011年3月末をもって会議は尻つぼみの状況で閉会されました。

その提言において、取調べの可視化に関しては、「今後、より一層、その範囲を拡大するべきである」「1年後を目途として検証を実施した上、その検証結果を公表すべきである」「(参考人の取調べ可視化に関しては)被疑者の取調べに関する録音・録画の実施・施行状況を踏まえつつ、更なる検討が行われることが望ましい」と全く迫力に欠ける内容でした。(注1)

議論の場は、法務省の諮問機関である法制審議会に移ります。「新時代の刑事司法制度特別部会」が法制審議会内に設置され、2011年6月から議論が始まりました。

2013年1月、『時代に即した新たな刑事司法制度の基本構想』が取りまとめられ、以降、この基本構想に基づいて具体的な検討が進められました。

基本構想の中で、取調べの可視化に関しては、二案が提案されました。第一案は「一定の例外事由を定めつつ、原則として、被疑者取調べの全過程について録音・録画を義務付ける。対象事件は、裁判員制度対象の身柄事件を念頭に置く」、第二案は「録音・録画の対象とする範囲は、取調官の一定の裁量に委ねるものとする」というものでした。(注2)

その後、特別部会作業分科会で議論が重ねられましたが、村木厚子委員や周防正行委員の抵抗にも関わらず、取調官の裁量に委ねる部分可視化の第二案も廃案とされず、二案併記の形で、6月に素案として公表されました。

第二案は問題外としても、第一案の幅広い例外規定は、村木厚子委員をして「原則と例外がひっくり返ってしまう」と言わしめるものです。(注3)

そして今月10月中に修正案が発表される予定です。特別部会の最終案に基づく法改正案が国会に提出されるのは来年の見通しです。以上がこれまでの経緯です。

私は、取調べ可視化の行く末に関しては大きな危惧を感じています。実施は早晩なされるでしょうが、それは不完全な形であり、何よりそれでは時間が足りないと思っています。「一日も早い実施を」と思われている方も多いと思われるので、私の意見を述べさせてもらいます。

まず「取調べ可視化の制度化になぜこれほど苦労しているか」という質問に対しての答えは簡単です。それは法改正の叩き台となる提言を作成する法務省が、検察官の巣窟だからです。本来、監督機関である法務省が、外局の検察よりも下位であり、法務・検察組織のトップが法務事務次官ではなく、検事総長であることは実態として知られています。

彼らが取調べ可視化を受け入れ難い理由は、以下の二点です。

まず一点目。検察の最大の既得権の一つが、調書を逐語的に作成しなくていいというものです。日本の裁判では、公判での証言よりも検察官作成の検面調書が信頼されますが(それは「調書主義」と呼ばれます)、そうした状況においては、検察官が思いのまま調書を作れることは有罪を取るためには非常に有効なものです。

検察がこの既得権を容易に手放すわけはありません。取調べの可視化は、被疑者の証言のニュアンスを検察にとって有利に作文することの大きな障壁になります。

そして二点目。検察が公判を有利に進めるためには、被疑者に有利な無罪方向の証拠を事前に「潰す」必要があります。その準備として、取調べでは被疑者にとって有利な事実関係も詳しく調べて対策を練っておきたいものです。これは当然調書には書かれません。ところが可視化されれば、そうした被疑者に有利な証拠も、弁護側や裁判官に知られることになります。

捜査当局が取調べ可視化に抵抗していると聞くと、何か拷問のようなことが行われているのかと想像しがちですが(警察レベルの取調べではありうるかもしれませんが)、検察の取調べはそうした稚拙なものではないと思った方が、この問題をより深く理解できると思います。(注4)

それでは、取調べの可視化を急ぐべきかというと、私は必ずしもそうではないと思っています。なぜなら、取調べの可視化は目的ではなく、それは単なる手段に過ぎないからです。

「取調べの可視化をすべきか」という質問を、夕方のスーパーの買い物帰りの主婦100人に聞けば、「かしかって何?案山子?」という人以外は全て「イエス」と答えると思います。「なぜ取調べの状況を記録しちゃいけないの?何か取調べのやり方にやましいところがあるの?」というのは、自然な疑問です。そしてその取調べの可視化に徹底的に抵抗しているのが検察組織であるというのは、検察の有罪至上主義を喧伝するには実に分かりやすい議論です。世の中の人に広く、そして裁判官にも検察はそういうところであるというイメージを持ってもらうには、「誰しもが必要不可欠と思っている取調べの可視化に対し、検察が抵抗している」という状況を利用しない手はないということです。

冤罪が生まれる非常に大きな要因の一つが、裁判官が検察を盲信しているということにあります。取調べの可視化をする最大の目的は、結局のところ冤罪防止にあります。取調べの可視化をしていかに取調べが適正に近づいても、裁判官が検察を盲信していれば何も変わりません。それより、世の中の人や更に重要な裁判官の検察に対する盲信の排除に寄与するのであれば、現況下でもう少しあがくのもありなのではないかと思っています。

私が危惧するのは、検察も愚かではないため、そうしたことは重々承知であり、既にその対策を講じていると思われるからです。彼らが狙うところは、世の中的には「そうか、『取調べの可視化』ってのは実施されたんだな」というディリュージョンを撒き散らすことです。

そのためには、肉を切らせて骨を断つ必要があります。つまりある程度の譲歩をし、それを針小棒大に誇大宣伝して、世の中の人々に「取調べの可視化はなされた」という誤った考えを持たせることです。そこでは、メディアが最大限の貢献をするものと思われます。

その序章は既に始まっています。先日報道の、検察長官会同(全国の検事長と検事正を招集して一同に会する会議)で、小津博司検事総長の「取調べ可視化は実務的に定着している」というコメントを無批判に垂れ流す報道がそれです。

ここをクリック→ 共同通信「取調べ可視化実務的に定着」

いまだ取調べの可視化が法制化されていない以上、検察が自主的に行う可視化が彼らに利するようなものであることは想像に難くありません。ここで言われている取調べの可視化は、識者が全力を挙げて阻止しようとしている、法制審議会素案の第二案である部分可視化のことです。捜査当局がおいしい部分だけを切り取って公判に提出するこの部分可視化は、取調べの記録を真実に近付けるどころか、むしろ真実から遠ざけるものです。

これを認めるような素案は、さすがに法務省といえども最終的には提出できないと思います。しかし、6月発表段階でこの部分可視化の第二案も排除されなかったのは、それが「これに比べたら、こっちの方がまだましだろう」ともう一つの案に誘導するためのデコイだからです。

人間、選択肢が一つしかないと、それを選択するかしないかを考えますが、選択肢が二つあるとそのどちらかを選択するという結果になりやすいことを利用するものです。「毒と猛毒、どちらを飲んで死にたいですか」と言われているようなものです。

6月発表素案の第一案の問題は、可視化が全面的に行われたとしてもその適用範囲が極端に狭く、例外も多く設けられているからです。特にその適用範囲に関して述べてみたいと思います。

その適用範囲は原則裁判員制度の対象事件とされています。皆さんは、刑事事件のうち裁判員制度の対象となる事件がどれだけあるかご存知でしょうか。対象事件は、一定の重大な事件とされ、例えば殺人罪、強盗致死傷罪、現住建造物等放火罪、身代金目的誘拐罪、危険運転致死罪などがあります。

年間の刑事事件数は約9万件強ですが、裁判員制度の対象となる事件は、そのうち2.5%から3%に過ぎません。

ここをクリック→ 裁判員制度の対象となる事件の数(裁判所HPより)

つまりこの案を採用した場合、大部分の事件が可視化しなくてもよいということになります。それでは、その2.5%から3%の「重大な刑事事件」で全て可視化が行われることになるかというと、そうではありません。そこには更に悪質なループホールがありえます。

具体的な例を挙げると、先日、私がブック・レビューで紹介した「大阪二児置き去り死事件」を挙げます。(注5)この事件は、裁判員裁判で裁かれました。ちなみに、検察側主張の殺人、弁護側主張の保護責任者遺棄致死のいずれも裁判員制度の対象事件です。しかし、もし裁判員制度対象事件を全て全面可視化することになっても、この事件ですら可視化の対象とならない可能性があります。それは、この事件では当初母親が死体遺棄容疑で逮捕されているからです。死体遺棄は裁判員制度の対象事件ではありません。このように、より軽微な容疑で逮捕して、そこでより重い罪を自白させれば、可視化をする必要はないということになります。

このような可視化の制度化は、なんら取調べの適正化に実効性がないものです。それが法務検察組織の狙いだと私は思っています。

こうした非常に厳しい状況下で、可視化の議論の方向性をどこに持って行くべきか。それには長期的なビジョンを持つことが必要です。

私は、ドイツ型の在り方を目指すべきだと思っています。先進国の中で、唯一取調べの可視化がなされていないのは、日本とドイツだけです。(注6)しかし、ドイツにおいては、公判での証言より調書が重要視されるような「調書主義」ではなく、公判での証言がより重い「直接主義・口頭主義」と呼ばれる在り方です。この実行をサポートするには、法制化の必要はありません。裁判官の意識の変化さえあれば事足ります。つまり裁判官が、密室の中で検察官が恣意的に作成した調書を疑わしいと思い始めれば、現状のように、公判で否認しているにも関わらず、自白調書があるからその否認が否定されることにはならないと思われます。

世の中の意識改革、裁判官の意識改革のために、取調べ可視化の議論は非常に重要です。検察リークの報道に惑わされることなく、何が起こっているかを理解し、正しい判断が求められています。

長期的ビジョンに立ち、可視化の議論によって何を獲得すべきか。最終な目的である冤罪を防ぐにはどうすればよいかを常に考える必要があると思っています。民主主義を守るのは我々国民自らの責務です。今がまさにその分水嶺です。

(注1)
ここをクリック→ 検察の在り方検討会議提言「検察の再生に向けて[概要版]」

(注2)
ここをクリック→ 新時代の刑事司法制度特別部会 「時代に即した新たな刑事司法制度の基本構想」

(注3)
ここをクリック→ 「作業分科会における検討」(2013/6/14開催第20回会議資料)

ここをクリック→ 「村木厚子委員発言要旨」(2013/6/14開催第20回会議資料)

(注4)
ここをクリック→ #検察なう (288) 「可視化を巡る考察 ~ なぜ捜査権力は可視化を拒むのか」

(注5)
ここをクリック→ ブック・レビュー 『ルポ虐待 大阪二児置き去り死事件』 杉山春著

(注6)
日弁連パンフレット (p.8)
ここをクリック→ 『取調べの可視化で変えよう、刑事司法!』

10/10/2013

















ここをクリック→ Wikipedia クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

ここをクリック→ 経緯説明 「真実は一つである」

ここをクリック→ 被告人最終陳述

ここをクリック→ 八田隆ツイッタ―





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category: 刑事司法改革への道

2013/10/10 Thu. 04:13 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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