「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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#検察なう (348) 「冤罪被害者の心理」 11/21/2013 

#検察なう (348) 「冤罪被害者の心理」 11/21/2013

(強制捜査から1801日、控訴審判決まで71日)

先日の控訴審初公判直前に、たまたま新宿で映画『ショージとタカオ』の上映会があったので、エネルギーをもらうべく、3度目(4度目かな?)の鑑賞に行ってきました。布川事件の冤罪被害者桜井昌司氏と杉山卓男氏を主人公とした、井手洋子監督による傑作ロード・ムービーです。

今回観賞して映画の中で心に留まったのは、桜井昌司氏の伴侶恵子さんの言葉でした。彼女が夫のことを理解しようとして、心理学の勉強をしていると言った時のことです。

「冤罪被害者の気持ちを書いた本ってないじゃないですか。でも、冤罪被害者のことは彼らにしか分からないこともあると思うんです。」

桜井氏や杉山氏といった超ド級冤罪被害者とは言わずとも、声を出せない冤罪被害者の方々の口惜しさは、私の数百倍かと思いますが、その心理を代弁させてもらえればと思います。

前置きですが、冤罪被害者としてはパシリ程度の私が、冤罪被害者の方から「お前に冤罪被害者の何が分かる」というお叱りを受けるのであれば、それはごもっともと受入れますが、そうでない方の言葉であれば、そっくりそのままお返ししたいと思います。

人の考え方は人それぞれですから、冤罪被害者の全てが同じ感情、心理状況であるということは勿論ありえません。しかし、私の考えるところが一例として何らかのヒントになればいいと思っています。

なぜ冤罪の被害者であることが辛いのか。それは全く受ける必要のない偏見や差別の対象とされることの断腸の思いと、自分の主張を他人が受け入れてくれないという絶望感に尽きると思います。

まず、犯罪者と同一視する偏見や差別ですが、これはほかの偏見や差別(多くは劣等感の裏返しで、自分より下等の存在を作って優越感を得ようとするもの)とは異なり、する側は自分たちが正義であるという立場ですから容赦ありません。犯罪者を指弾することは、いわゆる「社会的制裁」として(その是非はともかく)社会に許容されているように思えます。

しかし、犯罪者であればその制裁も仕方ないと思えるかもしれませんが、冤罪被害者にとってみればこれほど理不尽なことはありません。

犯罪者のレッテルを貼られるということがどれほどおぞましいことであるか。あまり自分で品行方正と思っていない私ですら相当辛いので、普通は到底受け入れ難いものだと思います。そしてその目に見えないレッテルは容易にはがれることはありません。

自臭症(自己臭恐怖症)というのはご存知でしょうか。これは周りから臭いと思われていると思い込む立派な精神疾患です。犯罪者のレッテルがはがれないという強迫観念は自臭症くらい強いものです。一審無罪でも、薄れこそすれ私からその感覚は消えていません。

関わり合いになりたくないと離れていく人に「なぜ信じてもらえないのか」と言ったところで何もならないと分かりながらも納得がいきませんでした。その恐怖感は今日でもあります。

そして、必要以上に「自分を信じていないのではないか」と人を疑うことになります。私もこの5年間で、近くにいたはずの人を「どうせ信じていないんだろう」と何度も傷つけてきました。

「信じてほしい」というのは冤罪被害者の共通の欲求ですが、それを表に出すと必ず失望を覚えることを私たちは知っています。私の具体例で説明します。

いまだに、「でも税金払ってなかったんでしょ。それじゃ冤罪って言っちゃいけないでしょ」と言われます。そう言う方に、「それは、飛び出してきた子供をよけきれずに轢き殺してしまった運転手に「おまえはその子供を殺そうと思って轢き殺したんだ」ということと同じですよ。それは間違ってませんか」と言ってもなかなか理解されません。

「人が気付くところを、あなたが気付かなかったというのは、あなたの不注意でしょ。それはあなたが悪い」はどうでしょうか。それも間違っていると思います。そうおっしゃる方は、日本の刑事裁判で無罪を取ることがどれ程大変かを理解されていません。

外資系金融業界全体で数百人私と同じように申告漏れがあり、私だけが検察特捜部に起訴されましたが、もし申告漏れが私だけであれば、いかに過失が真実であったとしても、故意と認定されたと思います。弁護団が腐心したところは、「普通の注意力でも気付かなかった。ましてや仕事以外の注意力が、人一倍極端に散漫な被告人は気付くわけがなかった」というものです。

このように冤罪被害者が自分の正当性を主張すれば、常にそれを否定する声があります。これはまさにセカンド・レイプのようなものです。それを避けるには、自分が正しいと主張したいという本来の欲求を殺して沈黙を選ぶしかありません。それは自分を守るには賢明な選択です。そして世の中には、その選択をしている声を出せない冤罪被害者は本当に沢山いると思います。

私にはその賢明さはありませんでした。今振り返っても、国税局査察部や検察特捜部に立ち向かうというドンキホーテのような無謀な決断は全くもって愚かな選択だったと思います。ただ何かを変えることができるとすれば、その愚かさゆえだと思います。”Stay hungry. Stay foolish.” いい言葉だと思います。

冤罪に苦しむ人が少しでもいなくなるよう、冤罪というものが何かを是非ご理解頂ければと思います。まずは理解が第一歩です。よろしくお願いします。

11/21/2013
















ここをクリック→ Wikipedia クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

ここをクリック→ 経緯説明 「真実は一つである」

ここをクリック→ 被告人最終陳述

ここをクリック→ 八田隆ツイッタ―





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category: 冤罪事件に関して

2013/11/21 Thu. 00:09 [edit]   TB: 0 | CM: 1

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この記事に対するコメント

ことの真実は自分自身が一番分かっています。しかし、警察・検察は最初から
ストーリー有りきで上手く事件として組み立てていきます。ある事件で私は
共犯者とされました。八田さんは物事に例えて説明をしていただけるので判断がし易いです。私も例えてお話しますが、傷害事件があったとします。私は
友人からお金を貸して欲しいと頼まれますが私には持ち合わせがありません。
その友人には私以上に親しくしている友人がおりました。そこで私は彼に
その友人と相談してみたら如何ですか・・・と話をしました。彼は分ったと
言って彼の友人にお金を貸して欲しいと頼みましたが、しかしそこでどういう
訳か二人が喧嘩となり傷害事件となりました。警察・検察のストーリーは
いつの間にか私が相談してみたらと言わなければ喧嘩も起きず傷害事件にも
ならなかったと言うストーリーで事件が作られていきます。私はその場に
居なかったので何が原因で喧嘩になり傷害事件になったのかわかりません。
しかし、共犯者です。当然、裁判になり執行猶予付き判決となります。
いまでも何で共犯者なのか自分自身に問うても理解出来ないのですが、
警察・検察の見立てた事件の調書は殴った人間は性格が荒く喧嘩になることも
想定できただろうです。当然、私は否認をしますが、認めなければ長期拘留と
なります。逮捕から50日が過ぎ家族が面会に訪れ生活ができないから一日も
早く罪を認めて保釈を受け働いて欲しいと私に訴えます。熟慮のうえやむ無く
弁護士を通じ裁判で罪を認めることを条件に保釈を受けます。しかし、
この判断が良かったのか悪かったのか心の傷となって一生涯残るだろうと
思っています。これが現在の司法の現実です。私には否認を続け長期の裁判に
耐えうる私財はありません。受け入れて早く職場に復帰するしか家族を養う
方法がなかったのです。例えが正しいかどうか分かりませんが概ね理解はして
いただけるのではないかと思っております。故に八田さんが信念を曲げず権力と闘っておられる姿に感動すら覚えるのです。応援しております。
最後の最後まで頑張り抜いてください。

名無し #- | URL | 2013/11/23 Sat. 02:17 * edit *

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