「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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#検察なう (353) 「刑事司法における秩序感覚」 12/9/2013 

#検察なう (353) 「刑事司法における秩序感覚」 12/9/2013

(強制捜査から1819日、控訴審判決まで53日)

私が経験した国税局査察部による取調べでは、担当査察官の心証はシロだと感じました。一人の査察官からは、「こういうところでお会いするのでなければ、もう少しお近づきにもなれるのですが」と言われ、もう一人の査察官に「どうしてこんなに時間がかかっているのですか」と尋ねると、「上司がどうしても納得してくれないんです」と言われました。その上司と面談かなった際には「証拠はありません。しかし私たちの仕事はあなたを告発することです。ですから時間がかかっていることはご理解下さい」と言われました。

特捜部取調べは、全文「問答形式」という特異な調書であったため、調書に録取された以外の無駄口、世間話は一切せず、検察官の心証を伺い知ることはできませんでした。しかし、彼らの卓越した捜査能力を正しい方向に行使さえすれば、真実に到達することはいとも容易だと思われます。

国家権力がなぜ無辜の者を罪に陥れなければならないのか、その理由を知りたいとこの5年間考えてきました。

また、名張毒ぶどう酒事件(注1)、福井女子中学生殺人事件(注2)、大崎事件(注3)といった冤罪事件では、職業裁判官によって一旦は無罪(相当)の判断がされていることから、彼らの有罪判決には合理的な疑いが入るのは明らかです。「疑わしきは被告人の利益に」という刑事司法の大原則を遵守するだけで、彼らに無罪を言い渡すことは簡単であるかのように思えます。

何が何でも有罪にしなければならないとする理由には、単なる役所のメンツを守るといった低次元の論理ではない何かがあるように思えます。

それが何か、やはりインサイダーでなければ知り得ることはできませんが、私がぼんやり見えてきたものを言い表せば、「何らかの治安維持・秩序感覚」というものだと思います。

宮台真司氏によるコメント(1分4秒動画)をご覧下さい。私も宮台氏と同じ疑問を常に持っています。そしてそれに関する答えをいまだ見つけられずにいます。

ここをクリック→ 検察官の特殊な秩序感覚

一般市民感覚から遊離したこの感覚は、捜査当局のみならず、(一部)裁判官もシェアしているものかもしれません。

先日、元判事の石松武雄氏の講演集を読みました。石松氏は約40年間の裁判官生活のうち、約30年を刑事裁判実務に関わった判事であり、定年退官時は大阪高裁判事であった方です。

彼の『わが国の刑事被告人は裁判官による裁判を本当に受けているか』と題する講演は、精密司法・調書裁判が公判を形骸化させているという内容のものですが、章建てされた一つの章の表題が『治安維持より無罪の発見』であり、「治安維持」と「無罪」を対比させていることに興味をひかれました。その章から引用します。

「刑事裁判官の使命は、治安の維持よりも被告人の人権の保障にあるという考え方、換言すれば、犯罪の嫌疑を受けている被告人の中から無実の者またはより軽い罪によって処罰されるべき者を選び出し、これを速やかに救済する点に刑事裁判の主たる意義を見出し、その治安維持機能を二次的なものとみようという考え方がかなり広く主張された……私も……第一審裁判官としてこのような傾向を刑事裁判の正しい方向であると考え、たとえば、逮捕の必要性・勾留の理由・権利保釈の除外事由としての罪証隠滅のおそれという要件の判断がルーズに流れないようにしぼりをかけ、あるいは、刑訴法321条2号の要件や自白の証拠能力の要件を法の規定するとおり厳格に判断しようと腐心したことでありました。しかし、このような裁判実務の傾向は……強大な捜査体制を背景とする従前の捜査裁判実務に真っ向から衝突するものであり、逆に充実した捜査によって裁判をリードしようとする考え方、調書裁判・精密司法の優位性を強調する考え方をとる側からの強い反撃に遭遇することは当然予想されたことであります。」

講演の行われた1989年当時よりも現在では、捜査に対する司法的抑制と公判中心主義を徹底する裁判官が減っているのではないかと危惧します。明示的ではありませんが、表面的に捉えると、あたかも無罪を出すと治安維持ができないかのように感じます。

冤罪をなくすためには、我々一般市民の感覚とは明らかにずれた刑事司法インサイダーの「特殊な秩序感覚」を理解し、我々がそのギャップを埋めるべく努力をする必要があるのではないでしょうか。「何でこんなことも分からないのか」と言っていたのではそのギャップは永遠に埋まらないでしょう。なぜなら彼らは十分に分かっているからです。それでも我々の期待する結果となっていないその根源的な理由を探る必要があります。しかし私も具体的方策のイメージがあるわけではありません。考え続けたいと思っています。

(注1)
「名張毒ぶどう酒事件」
一審無罪(二審逆転有罪)、再審開始決定(再審開始決定取消)
ここをクリック→ 冤罪ファイル その1「名張毒ぶどう酒殺人事件」

(注2)
「福井女子中学生殺人事件」
一審無罪(二審逆転有罪)、再審開始決定(再審開始決定取消)
ここをクリック→ 冤罪ファイル その9 「福井女子中学生殺人事件」

(注3)
「大崎事件」
再審開始決定(再審開始決定取消)
ここをクリック→ 冤罪ファイル その8 「大崎事件」

12/9/2013















ここをクリック→ Wikipedia クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

ここをクリック→ 被告人最終陳述

ここをクリック→ 八田隆ツイッタ―

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category: 刑事司法改革への道

2013/12/09 Mon. 00:33 [edit]   TB: 0 | CM: 1

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この記事に対するコメント

まったく同感、鋭い指摘

鋭い指摘だと思います。
社会の「非常識」が司法村の「常識」となってしまっている原因は、
「治安を維持する責務を負っている者は、間違いなど犯すはずなどない(つまり冤罪などない)」という思い込みにあるのではないかと思います。
「人間は誰しも間違いを犯す」という当たり前の前提が、
忘れられているのが司法村の現状ではないでしょうか。
これは「事故など絶対にない」という原発の安全神話と似ていると思います。

現状を変えるには、
一審無罪に対する検察官控訴、再審開始決定に対する検察の異議を認めない、
といった制度改革のほかに、市民がもっと司法に関心を持つことも必要だと思います。

S.Nagahama #- | URL | 2013/12/09 Mon. 11:05 * edit *

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