「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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#検察なう (363) 「『「無罪」を見抜く 裁判官・木谷明の生き方』を読んで」 1/16/2014 

#検察なう (363) 「『「無罪」を見抜く 裁判官・木谷明の生き方』を読んで」 1/16/2014

(強制捜査から1857日、控訴審判決まで15日)

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昨年11月末に上梓された木谷明氏の最新刊『「無罪」を見抜く 裁判官・木谷明の生き方』を読みました。

木谷氏は、最高裁調査官、大阪高裁判事、水戸家裁・地裁所長、東京高裁部総括判事などを歴任、退官後は公証人を経て法政大学法科大学教授、現在は弁護士として活躍しています。この書は、彼の一生を記したオーラル・ヒストリーです。

私にとっては『刑事裁判の心』に続く、2冊目の木谷明体験でした。

前半部分でのハイライトは最高裁調査官としての活動を記したものです。

裁判所組織の頂点に位置する最高裁は極めて多数の上告事件を扱いますが、15人の裁判官(長官1人、最高裁判事14人)だけでは審理しきれないため、約40人の調査官が粗選別します。調査官は、キャリア15年程度の判事がなるエリートコースですが、木谷氏も修習終了後、裁判官となって丁度16年目に最高裁調査官に着任しています。

彼ら調査官が黒衣(くろご)となり上告趣意書を元に、事実誤認しか主張していない事件には「×」、量刑不当しか主張していない事件には「△」、判例になりそうな事件、あるいは事実認定でもかなり微妙と思われる事件には「○」、超特大の事件や極めて難しい法律問題を含んだ事件には「◎」をつけて選別していきます。

木谷氏が調査官として関わった中から憲法判例を作る実例が多く語られていますが、あまり事件の背景に詳しくない私には、かなり敷居が高く感じられました。そこでは「四畳半襖の下張」事件、『月刊ペン』事件、エンタープライズ寄港阻止佐世保闘争事件といった事件が扱われており、調査官がどのような仕事ぶりであるのかなかなか知る機会もないので、興味は引かれたものの、かなり玄人受けオンリーの内容でした。

それに比して、大阪高裁判事着任以降の後半部分は、裁判官としての事実認定や判決に至る裁判官の心理、苦労が語られ、素人の私も俄然面白く感じました。

そこでは彼の死刑、少年事件、再審制度に関する考えも述べられ、非常に興味深かったものです。また彼は、東電OL事件において一審無罪直後の検察によるゴビンダ氏勾留請求を却下したことで知られていますが、東電OL事件に関しても検察の証拠隠しという非常に重要なポイントが語られています。

その後半部分から、いくつか印象的な部分を引用します。

― 先生の無罪の“目利き”の仕方と言いますか、無罪を見抜く“極意”といいますか、どういうことを心がけようと?

木谷「見抜き方なんて特にあるわけではないですけど、ともかく、さっき言ったように、被告人に十分、弁解させることが大事です。弁解を一笑に付さないで、「本当は被告人の言っている通りなのではないか」という観点から検事の提出した証拠を厳しく見て、疑問があれば徹底的に事実を調べる、と。これに尽きます。」

― 私みたいな者からすると、先生のお話がすごく納得できるのですけども、先生みたいな方が少数で、一般の裁判官の方は、そういうふうに耳を傾けられないのでしょうか。

木谷「私にも、それは分かりません。私は、これまで多くの裁判官と付き合って、裁判官にも色んなタイプがあると思います。

これについて私は、三分類しています。一つは「迷信型」です。つまり、捜査官はウソをつかない、被告人はウソをつく、と。頭からそういう考えに凝り固まっていて、そう思いこんでいる人です。何か被告人が弁解をすると、「またあんなウソをついて」というふうに、最初から問題にしないタイプです。私は、これが三割ぐらいいるのではないか、と思います。

二つめはその対極で「熟慮断行型」です。被告人のためによくよく考えて、そして最後は「疑わしきは」の原則に忠実に自分の考えでやる、という人です。これが多めに見積もって一割いるかいないか。

その中間の六割強は「優柔不断・右顧左眄型」です。この人たちは、真面目にやろうという気がない訳ではない。三割の頑固な人たちとは違うので、場合によっては、「やろう」という気持ちはあるのだけど、「本当にこれでやっていいのかな」とか迷ってしまうのです。私だって迷いますよ。迷いますけど、最後は決断します。でも、この六割の人は、「こんな事件でこういう判決をしたら物笑いになるのではないか」「警察・検察官から、ひどいことを言われるのではないか」「上級審の評判が悪くなるのではないか」などと気にして、右顧左眄しているうちに、優柔不断だから決断できなくなって検事のいう通りにしてしまう。(中略)裁判官には、こういう体質的な問題がかなりあります。」

― 無罪判決の意義についてのご見解は?

木谷「それは、「無実の人を処罰してはいけない」ということに尽きます。そのためには、「絶対に無実だ」というところまで心証をとらなければ無罪判決しない、ということではいけません。そこまでは行かないけれども実際は無実だという人は沢山いる訳です。要するにグレーゾーンです。そういう人たちをできるだけ無罪のほうに持っていく、ということにしないと、無実の人を処罰する結果になってしまう、と。そうやって無罪判決をすれば、無実の人が処罰されることは少なくなる。これが最大の意義です。

また、私は、裁判所は捜査官の捜査を厳しく批判するべきだ、と思っています。そういうことに裁判所が甘くなると捜査官を増長させるのです。どんなことをやったって最後は裁判所が救ってくれる、というように思わせてしまえば、捜査は良くなりません。捜査はあくまで適正に行われなければなりません。適正な手続に基づいて有罪の立証をするというのは、捜査官(警察、検察官)に課せられた義務です。裁判所は、捜査機関にその義務を尽くさせるように最大限の努力をしなければいけない、と思っています。」

― しかし、先ほどの三分類にもあったように、先生みたいなタイプの裁判官に当たると、被告人は主張を容れてもらって調べてもらえる。その方はすごく幸せだと思いますが、多数の被告人は、本当はもしかしたら無実、あるいは無罪のグレーゾーンなのにもかかわらず、省みられず・・・。

木谷「だから、その点が問題なのです。それは困った問題ですが、今後、皆が力を合わせて「熟慮断行型」の裁判官を増やすように努力するしかありません。私は、冤罪は本当に数限りなくある、と思います。最近、いくつかの有名な冤罪事件の無罪判決が報道されていますが、あれはあくまで氷山の一角ですよ。私は弁護士として事件を扱うようになってますます痛感しますけど、「なぜ、こんな証拠で有罪になるのだ」と怒りたくなる判決がたくさんあります。「相談に乗ってくれ」と言って私のところに持ち込まれる事件は、大抵そうです。本当に驚いています。「後輩たちよ、君たちはこんな判決をしているのか」と一喝したくなります。せっかく再審で無罪になる人がいても、次々と新しい冤罪が生まれていますからね。刑務所の中には冤罪者が一杯いると思わないといけません。」

木谷「冤罪というものが本人にとっていかに苦しいものかということを、裁判官は自分をその立場に置いてシミュレーションしてみてほしいと思います。(中略)裁判官は、他人事だと思うから気楽に言うけれども、自分がやってもいない罪で処罰されたり死刑にされたりする時にどう思いますか。そんな恐ろしいことは絶対になくさなければいけない、と本当に思います。」

― 裁判所の問題点です。有罪率が99.9%という・・・これは、なぜか。先生のお考えをお聞かせください。

木谷「いくつかあります。まずは、裁判官が有罪の事件ばかり扱って、有罪に慣れてしまっているという問題がある。また、証拠開示の問題など制度的な不備もあります。」

― 具体的には?

木谷「だから、証拠開示の問題は、従前最大の問題点だったのです。検事が強制力を使って集めた証拠を独占してしまって、被告人側に見せない、取調べ請求する証拠以外は見せなくてよいということになっていたのですから、これで冤罪が発生しなければ不思議です。

あとは取調べが可視化されていないから、実際の裁判で、捜査官の言い分が鵜呑みにされてしまう、自白の任意性がどんどん肯定されてしまう、という問題があります。それは制度を動かさなくても、実際の運用を厳格にすればすむわけなのですけど、どうも任意性を否定して無罪判決をしようと思うと大変な労力が必要なのです。仮に無罪判決をしても、検事に控訴されると七割くらいは破棄されてしまう。そうすると、やっているうちにバカらしくなってしまうんですね。「こんなふうにやったって、どうせ高裁で取り消されるのではないか」と考えてしまって。それで検察の控訴が多かったり、高裁の破棄が多かったりすると、勤務評定にも影響するのではないか、というような心配もあるんでしょう。まあ、それが実際どこまで影響するか私も知らないけども、一般の裁判官はそう思うのでしょうね。」

― 最後の質問です。ご著書のタイトルにもある「刑事裁判の心」。これが先生の、最も重要な言葉だと思うのですけど、最後にそのお思いを語ってくださるとありがたいです。

木谷「刑事裁判というのは被告人が言っていることを、ちゃんと聞いて理解して、そしてその上で判断しなければダメだということですね。聞く耳を持たない人、調べる気がない人。これはもう全然話になりません。そういう人は、刑事裁判官をやる資格がないと思っています。被告人の話を虚心坦懐によく聞いて、本当はこの人が言っていることが真実なのではないかという目で証拠を再検討して、疑問があれば徹底的に調べる。その上で下す判断でなければ、被告人は絶対に納得しません。それだけでなく、間違った判断をしてしまいます。間違って有罪判決をするくらい恐ろしいことはないので、そういうことは絶対にあってはならないと思いますね。

「間違って真犯人を取り逃していいのか」という反論がありますけど、それはある程度やむを得ないと割りきらなければ、刑事裁判はできません。取り逃がす不正義と冤罪者を処罰する不正義とでは、全然質が違うのです。弁護士になって、ますますその思いを強めています。」

以上、法曹界で一目も二目も置かれている木谷明氏の言葉をピックアップしましたが、この言葉を聞いて一般人の感覚からすると「これがあるべき普通の裁判官なんじゃないの?」と思った人は多いのではないでしょうか。異常な刑事司法の世界が、我々一般市民の「ノーマルな状態」に少しでも近づく日を私は望みます。

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1/16/2014















法廷画が冊子化されました。正(第2回公判~第7回公判、400円)、続(第8回公判~第11回公判無罪判決、500円)の2冊です。代金(実費)は、無償で法廷画を描いてくれた漫画家にカンパされます。ご希望の方は sienhatta@gmail.com までご連絡下さい(送料9冊まで80円、10冊以上160円)。

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category: 刑事司法改革への道

2014/01/16 Thu. 00:38 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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