「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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無罪を勝ち得るために~冤罪と戦う方法 その2 「被告人の心構え (2) セカンドレイプに耐える強さを持つこと」 

無罪を勝ち得るために~冤罪と戦う方法 その2 「被告人の心構え (2) セカンドレイプに耐える強さを持つこと」

セカンドレイプという言葉があります。それはレイプ被害者がその後の経過において更なる心理的ダメージを受ける二次被害のことを指します。

冤罪におけるレイプ犯は捜査当局や司法当局ですが、冤罪にもセカンドレイプ相当の二次被害があります。捜査当局の一方的なリークによる犯人視する報道、SNSやブログへの書き込みといった顔の見えない非難や中傷、そして友人・知人の無視・無理解などです。

冤罪被害者の心からの欲求は、自分の無実を一人でも多くの人に信じてほしいというものです。そしてセカンドレイプの度合いは、冤罪被害者が無実を訴えれば訴えるほど、作用・反作用の原理のごとく大きくなります。

私はツイッターやブログを通して最大限の情報の拡散に努めたため、やはり非難・中傷にさらされ、消耗することもありました。行き当たりばったりのそれならまだしも、同じ人から幾度も粘着質の書き込みをされるとやはり気分は滅入るものです。

そうした顔の見えない非難・中傷よりも更に応えるのが、友人・知人の冷ややかな態度です。私は、自分の人物評定を嘆願書として友人・知人に依頼したため、拒否反応を示す人のリアクションは明らかでした。最初依頼した時は「書くよ」と言いながら、その後、メールをしても返信がなく、電話も取ってくれなくなるなどはざらにありました。「人は関わり合いになりたくないと思うものだ。むしろ書いてくれる人の方が、勇気のいる特別なことなんだ」ということは頭では理解できても、当初はなかなか納得できない自分がいました。

嘆願書を書かない理由に関しては(そしてそれは、私にとっては、言ってくれるだけましでした)、「八田さんのことだから謝ってないでしょ。役人なんて人を謝らせて溜飲を下げているような人種なんだから、まともなこと言ってもだめですよ。自分が悪くなくても謝り倒すんです。そんな常識もない人を助ける気にはならないですね」と言われたことや、「私がもし同じ目にあっても、こんな人に迷惑をかけて巻き込むようなことはしないから協力はできない」とか、果ては「嘆願書を書く書かないで、人を分け隔てるのはけしからんから書かない」と言われたこともあります。結局、嘆願書は146通集まりましたが、それを集める過程は常に自分の傷口に塩を塗り込むようなものでした(嘆願書の一部はブログにリンクを貼ってありますので、是非ご覧下さい)。

できる限り自分が巻き込まれた事件に関して蓋をしようとしたところで、大なり小なりこうしたセカンドレイプは起こります。そしてそれに耐える強さを持つことが、冤罪被害と戦うためには必要になります。

どうすればその耐性を持つことができるでしょうか。人それぞれ解消法はあるでしょうが、私の例が参考になるかもしれません。それは感情を抑えずに怒ることです。怒りはかなり強い感情なので、滅入る気持ちを吹き飛ばしてくれます。そしてここで重要なのは、怒る対象を決して非難・中傷・無視・無理解を示す人に向けてはいけないということです。怒る対象はあくまで冤罪そのもの、あるいは冤罪を生み出すシステムです。いわゆる「罪を憎んで人を憎まず」ということです。彼らも踏みたくもない踏み絵を踏まされているのです。そう考えることができれば、自分を非難する人も自分と同じく冤罪に囚われた被害者だと思って赦すことができます。私は、自分に向けられた非難は、自分が冤罪と戦う「燃料」だと思っていました。

怒りの矛先を捜査当局や司法当局に向けることはどうでしょうか。私は、やはりそれをもう一段昇華して冤罪そのものを憎んでほしいと思います。彼らはハンナ・アーレント言うところの思考停止した「凡庸な悪」であり、所詮、現代のアイヒマンでしかありません。彼らを憎んでも怒りのパワーを建設的には活用できません。正しく怒ることが前進の秘訣です。

これも前回に続き「言うは易く、行うは難し」ですが、是非、転んでもただでは起きないしたたかさを身につけて冤罪と戦ってほしいと思います。ポジティブ・シンキングです。私は冤罪と戦うあなたを応援しています。頑張って下さい。

4/7/2014















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#検察なう


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category: 無罪を勝ち得るために

2014/04/07 Mon. 00:07 [edit]   TB: 0 | CM: 1

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この記事に対するコメント

人権意識・・・・

低いという事なんでしょうね。もっと言えば、所詮他人事という冷めた価値観か、もしくは下手に加担したら検察から目をつけられて痛くも無い腹を探られるかもしれないという得体の知れない恐怖からくる保身でしょう←公務員なら特にこういう考え方をしそうなものです。

私は一番の問題は、裁判所、検察庁、司法制度の問題もさる事ながら、国民の人権意識の低さと想像力の欠如が大本だと考えています。

冤罪冤罪ってニュースで多少騒がれても所詮他人事、悪い奴らを捕まえるためには少数の犠牲もやむを得ないという考え方が少なくないのと、のど元過ぎればすぐに忘れてしまう冷めた国民性といった、一言でいえば無関心と想像力の無さが今の状況を許容しているのだと思います。

でなければ少なくとも国民の代弁者たる国会議員がもっと騒いでいる筈でしょう。騒がないのは冤罪関係が選挙で対して材料にならないのと、下手に検察に不利な司法改革を主張すると検察から目をつけられるのが怖い、という臆病さに原因があるのではないでしょうか。今から思えばろくな事をしてこなかった民主党ですが、唯一取り調べ可視化に関しては公約に入れて関心したものですが、これも結局看板倒れに終わってろくに司法改革が進んでいない始末。

原発問題では大きなデモになりましたが、冤罪ではそうなってませんからね・・・ある意味、今の司法制度の悪辣さは原発以上に国民に対して脅威だと感じているのですが、これだけ冤罪事件多発で騒がれても可視化一つ実現できないのは色々な意味で問題ですね。ホント、どんだけ危機感が無いんだか・・・

Tri #6Aros7K. | URL | 2014/05/10 Sat. 04:30 * edit *

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