「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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#検察なう (386) 「黙秘権について」 4/10/2014 

#検察なう (386) 「黙秘権について」 4/10/2014

先日、青木理氏の最新作(2013年11月上梓)『誘蛾灯』を読みました。非常に蠱惑的な作品で興味深かったので是非読んでみて下さい。

こちらが私のレビュー。
ここをクリック→ ブック・レビュー『誘蛾灯 鳥取連続不審死事件』

本の題材は鳥取連続不審死事件に関するものですが、刑事司法に造詣が深い青木氏の作品だけあって、ところどころに刑事司法の在り方や問題点が語られています。その中でも特に興味深かった論点が黙秘権に関してでした。

まず、こちらの音声をお聞き下さい。これは青木氏が『誘蛾灯』出版後、TBSラジオの荻上チキ氏の番組に出演した際の黙秘権に関するコメントです。

ここをクリック→ 青木理氏「黙秘権に関して」

以下、『誘蛾灯』の中から、黙秘権に関する部分をたっぷり引用します。誰しも裁判員制度の下では、人を裁く立場になり得ますので、知っておくべきことだと思います。

(以下引用)
なぜ黙秘権が重要かつ決して侵してはならない権利として被訴追者に保証されているのか、黙秘権の存在自体は比較的知られていても、その理由については案外に知られていない。美由紀の公判をめぐっても、裁判員として判決言い渡しにかかわった人々の中からも無知丸出しの言辞が飛び出し、それに一部メディアが無批判に同調するというみっともない出来事が発生した。従って、ここで黙秘権の意味と由来について触れておくのは、決して無駄なことではないと思う。

言うまでもないことだが、国家権力は強大である。その権力の所在が政治家にあるのか行政官僚にあるのかといった議論はともかく、国家権力は途轍もなく強大であり、刑事司法の捜査段階に検察や警察がその権力を代行する。

したがって検察や警察には強力な捜査権限が付与され、膨大な人員とカネを投じて証拠等を収集し、関係先の捜索や関係者の取調べを行い、被疑者の身柄を拘束して刑事裁判にかけることができる。それと比べた時、一個人にすぎない被疑者、被告人=被訴追者の立場はあまりに弱く、その力の差は圧倒的である。

だからこそ刑事裁判においては、被訴追者が有罪であることを証明する責任は全面的に訴追機関の側が負い、合理的な疑いを超える確証を得られるところまで立証することが求められる。それができなければ無罪。あらためて記すまでもない。「疑わしきは被告人の利益に」の原則である。

黙秘権とは、そうした強大な権限を持つ訴追機関と対峙する一個人=被訴追者が自らを防衛するために付与された数少ない権利であり、自らに不利なことはもちろん、一切の供述を拒むことが保証されている。証拠によって有罪であることを立証するのはあくまで訴追機関の側であり、訴追される側にそのような責はまったくないからである。

つまり、刑事司法手続きの中で黙秘権を行使したことが不利に扱われるようなことがあってはならないし、それが非難されるようなことを許してしまえば、近代刑事司法の大原則が根幹から覆ってしまう。さらに言うなら、黙秘権を行使すると表明した被告人に対し、検察官が次々と質問を浴びせかけること自体、予断を与えかねないものとして避けるべきだという声も根強い。

従って、「犯罪を犯した者がダンマリを決め込み、真実を語ろうとしないのは卑怯だ」などという俗耳に入りやすい戯言は、飲み屋で酔客が撒き散らす放談としてもレベルが低いが、刑事司法に関わる者やメディア関係者ならば決して口にしてはならない類の禁句である。

ここで法律の素人である私が偉そうに長々と講釈をたれるよりむしろ、刑事司法のプロフェッショナルによる解説を紹介しておきたいと思う。

1998年7月に和歌山市で発生した、いわゆる毒物カレー事件はご記憶だろう。(中略)一審・和歌山地裁(裁判長・小川育央)の公判で眞須美は黙秘権を行使し、被告人質問で検察側が執拗に浴びせかけた問いにも一切口を開こうとしなかった。これに被害者遺族が強く反発し、一部メディアも遺族感情に共鳴する報道を繰り広げ、法廷で眞須美が黙秘したことに猛批判が浴びせられる事態が現出したのである。

近代刑事司法が被訴追者の重要な権利として保証した黙秘権の行使が批判の俎上に載るという異様な状況には裁判所もさすがに危機感を覚えたのであろう。一審・和歌山地裁の判決は黙秘権について相当な分量を割いて異例の言及をし、その意味と重要性を諄々と説いた。(中略)一審判決が提示した黙秘権に関する言及は極めて明快で、その重要性を的確にまとめたものといえる。やや長くなるが、該当部分を以下に紹介したい。

≪刑事手続きは、国家権力が個人に強制力を使ってまで事案を解明することを求めており、訴追機関と被訴追者である個人が真っ向から対立することを予定している。しかし、訴追機関と被訴追者の力のアンバランスは明白であり、それが種々のえん罪を生んできたことは歴史上明らかである。

そこで、法は、力のアンバランスが悲劇を生まないよう双方の力のバランスを保つため、被訴追者たる個人は国家権力の行使者である訴追機関に対して自ら弁解を主張する必要はなく、訴追機関側が考えられるあらゆる弁解をその責任において排斥すべきこととしたのである。そのために設けられた制度が黙秘権である。

ところで、事実上黙秘することは、特に権利とされるまでもなく、誰にでもできることである。したがって、黙秘することを「黙秘権」という権利まで高めた眼目は、まさに、黙秘したことを一切被訴追者(被告人、被疑者)に不利益に扱ってはならないという点にあるといわねばならない。(中略)

社会的には、不利な事実に対して黙秘することは、それが真実であって反論出来ないからであるという感覚の方が相当なのかもしれない。したがって黙秘したことを被告人に不利に扱ってはならないという黙秘権の制度が、一般世人にとって、納得のいかない印象を与えるのはむしろ当然なのかもしれない。

しかし、刑事裁判においては、被告人が黙秘したことを不利に扱えば、被告人は弁解せざるを得ない立場になり、結果的には弁解するだけではなく、弁解を根拠づけられることまで求められ、ひいては、国家権力対個人という力のアンバランスが生む悲劇を防ぐべく、攻撃力と防御力の実質的対等を図ろうとしている刑事訴訟の基本的理念自体を揺るがすことに結び付きかねないのである。

したがって、黙秘権という制度は、むしろ黙秘に関する社会的な感覚を排斥し、それ以外の証拠関係から冷静な理性に従って判断することを要求していると解すべきであり、もし黙秘するのはそれが真実であるからという一般的な経験則があるとするなら、むしろそのような経験則に基づく心証形勢に一種の制約を設けたもの(自由心証主義の例外)ととらえるべきものである≫

専門的で分かりにくい部分があるかもしれないが、言わんとするところは明快であろう。

つまり黙秘権とは、圧倒的な力を持つ国家権力=訴追機関と対峙させられる被訴追者にとって最重要の権利の一つであり、近代刑事司法の根幹を成すものの一つである。一般的な感情から納得しにくい部分があっても、そうした俗情的な反発はむしろ徹底して斥けられ、冷静な理性に依って原則を守りぬかねばならない。だから「無実ならきちんと弁明せよ」とか「後ろめたいところがあるから喋れないに違いない」などという低劣な批判は、近代刑事司法の根幹を腐食させてしまいかねない妄言として排斥される必要がある。
(引用以上)

4/10/2014













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category: 刑事事件一般

2014/04/10 Thu. 00:16 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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