「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

08« 2017 / 09 »10
1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.

#検察なう (397) 「PC遠隔操作事件アフターマスの懸念」 5/26/2014 

#検察なう (397) 「PC遠隔操作事件アフターマスの懸念」 5/26/2014

PC遠隔操作事件の結末(依然公判半ばではありますが)のショックからなかなか抜け出せずにいます。それは今後の展開に、いくつか大きな懸念を感じているからです。それをここで述べてみようと思います。

まず私の懸念は、刑事弁護に対する影響です。

主任弁護人、佐藤博史弁護士の「見捨てることはしない」というコメントが称賛されています。依頼人に対して誠実でありたいという姿勢は素晴らしいのですが、私は「微妙」と思わざるを得ません。少なくとも私であれば、依頼人に信頼を完全に裏切られた時点で弁護を継続しないのではないかと感じます。私も彼の立場となれば、浪花節的に「見捨てることはできない」と感じるかもしれませんが、少なくとも「見捨てるべきではない」とは全く思わないものです。

今回の事件でもそうであったように、過去の事実を明らかにするということは容易なことではなく、むしろ不可能だという見地に立った方がいいと思われます。弁護側、検察側の事実認定の主張が真っ向から対立した時に、少なからず影響するのは、裁判官も人間である以上、人そのものに対する「信頼感」だと思います。その点で弁護人は、裁判官と同じ公務員である検察官に対して、圧倒的なハンデキャップがあります。

PC遠隔操作事件は、これからも解明すべき点が山積している依然重要な事案ですが、刑事弁護という点では既に終了しています。自ら一転自白というケースではなく、捜査当局に追い詰められたゆえの自白という今回のケースでは、今後の弁護継続は「この弁護人は嘘をつく依頼人も弁護する」という印象を与え、将来的に、裁判官の信頼を削ぐようなことにつながりかねません。非常に失礼なことを重々承知の上で言えば、野球で敗戦処理投手がなぜ必要かを、「刑事弁護のエース」佐藤博史弁護士は考えてもいいと思います(素人考えに気分を害する弁護士の方もいるとは覚悟していますが)。そしてそれは、将来の依頼人に誠実であるためだと私は考えます。

また、刑事弁護をする弁護士が、依頼人との間に信頼関係を築くことに冷めたものを感じることを危惧します。国家権力に抗うには、個人の力はあまりに無力です。それをサポートするのが弁護士ですが、やはりお互いの信頼関係がなければ弁護人としてベストなパフォーマンスを期待することはできないと思います。私は、当事者としての経験から、刑事弁護というのはそれだけ大変なものだと理解しています。

また、捜査当局がメディアを利用して、捜査の外堀を埋める手法が常態化していますが、そのことによる被害報道に身を挺して依頼人を守ることにリスクを感じる弁護士が増えることは確実です。私は、真っ白な冤罪の戦い方として、全てをさらけ出すノーガード戦法もありだと思っています。しかし、それは様々なリスク(例えば、密室での審理を好むタイプの裁判官の信頼を失う)を伴う戦略でもあります。被疑者、被告人がリスクの多くを負担できればいいのですが、彼らの身柄が取られている場合、それを全て弁護人が負担するということになります。

PC遠隔操作事件で、佐藤弁護人を初めとする弁護団の積極的な情報開示は、著しい報道被害により劣勢であった状況を逆転するまでに至ったと思います。しかし、結果的に依頼人に裏切られたことは相当なダメージだったはずです。そうしたダメージを受けるリスクは取れないと考える弁護士がいるのは当然です。

ここで重要なことの一つは、偏向報道は冤罪を作るのみならず、真犯人に利することにもなるということです。今回の事件で弁護団や被告人を支持した人は、偏向報道から捜査当局の手持ち証拠の脆弱さを読み取り、被告人は無実であるという心証を強めました(その意味では、被告人に騙されたというより、捜査当局及びメディアに騙されたと言えます)。被告人を犯人と決めつけた初期の報道は、被告人が有罪になったからといって正当化されるべきではなく、むしろここまでの捜査の長期化の責任の一端があると言えます。

また非常に由々しいことは、これによって「やはり犯人は嘘をつく」というイメージが世の中に蔓延することです。私が捜査当局であれば、今後メディアを通して「否認する=嘘をついている」というイメージを枯葉剤のように撒き散らし、推定無罪原則を根絶やすべく誘導しようとするでしょう。我々はそうした動きに敏感になるべきです。

ただでさえ推定無罪原則が理解されていない刑事司法後進国の日本です。この事件に関しては、今更ながら後出しジャンケン的に「やっぱりね」という意見に辟易していますが、「やっぱりね。7-8割方クロだと思ったんだよ」「そうか、じゃ無罪だと思ってたんだね」「???」という会話をしなくてもいいようになればいいと思います。

また、今回の事件では、荒川河川敷から掘り出されたスマホという有力な物証が最後になって出てきたものの、発見までの不自然な経緯や(結局それは、デジタルな世界での犯行とは全くちぐはぐな片山被告の幼稚な行動の結果でしたが)、これまでの捜査の在り方から、それだけで有罪の決定的証拠と言えたかは微妙で、やはり被告人自らの自白が全ての決着の決め手になったといえます(少なくとも、もし有罪になったとしても、あの河川敷のスマホがなければ「PC遠隔操作事件冤罪説」は相当根強く残ると思われ、それが一気に解消したのが本人自白の意味するところです)。それゆえ、今後、更に自白偏重が強まり、長期的な勾留によって自白を取ろうとする「人質司法」が当然の手法とされることに危機感を感じます。

この点に関しては、郷原信郎弁護士がブログでも指摘しています。非常に重要な論点です。じっくりお読み頂ければと思います。

ここをクリック→ ブログ『郷原信郎が斬る』「PC遠隔操作事件を「人質司法」の追い風にしてはならない」 

今後、同様のプロファイリングの犯人による犯罪に対して捜査当局の経験値を高めるため、片山被告の精神鑑定は必須だと思います。

片山被告は「『悪の教典』を読んでください。自分みたいな人間が描かれている」と語ったとされています。貴志祐介は嫌いな作家ではなく、『黒い家』や『青の炎』はむしろ好きな作品です。しかし、『悪の教典』に関しては、映画を先に観て、中高生向けのジュブナイルだと思い全く共感しなかったので、私は、『悪の教典』に「自分のような人間が描かれている」という片山被告の心の暗部を覗くには全く不適当な人間だと思います。

片山被告が本当に冤罪で苦しむ人の気持ち、あるいはそうした人を支援する気持ちを理解しなかったし、これからも多分しないであろうことが一番残念なことかもしれません。依然、重要な事件として今後も注目していきたいと思います。

5/26/2014











5月16日発売!!

ここをクリック→ Amazon 『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』


表紙1






ここをクリック→ Wikipedia クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

ここをクリック→ 八田隆ツイッタ―

ここをクリック→ #検察なう フェイスブック・コミュニティ






TwitterやFacebookでの拡散お願いします。

category: 刑事事件一般

2014/05/26 Mon. 00:14 [edit]   TB: 0 | CM: 0

go page top

この記事に対するコメント

go page top

コメントの投稿

Secret

go page top

トラックバック

トラックバックURL
→http://fugathegameplayer.blog51.fc2.com/tb.php/708-e58b19f5
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

go page top