「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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#検察なう (402) 「税務官僚の本音」 6/12/2014 

#検察なう (402) 「税務官僚の本音」 6/12/2014

私は、私の取調べを行った国税局査察部の査察官が、私の無実を知っていたと確信しています。そうでなければ、私は、わざわざ国賠審まで戦おうなどとは思わなかったと思います。

このようなことが二度と起こらないように、一人でも多くの人に拙著『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』を読んでもらい、問題意識をシェアしてほしいと思っています。そして、特に税務官僚や検察官の方々には是非読んでほしいものです。

先日、税務官僚の友人に、どのようにすれば彼らに読んでもらえるかアイデアはないか尋ねました。「然るべくところに献本して回覧してもらうとか、機会をもらって勉強会をするとか、そういうことはできないだろうか」というのが私のイメージしたところでした。

彼からの返信は次のようなものでした。

「昨年、確定申告受付の手伝いに行ったのですが、多くは医療費控除ですが、なかには、個人事業主の方で、税理士も雇えず、少ない利益から税金を真面目に払おうとしている方にも、何人も出会いました。そうした真面目な納税者の方々を念頭に、過失とはいえ、(一般庶民から見て)多額の過少申告してしまった、道義的な責任について認め反省し、そのことも、発信すべきだと思うのですが、いかがでしょうか?」

友人という気軽さもあったのだと思いますが、この期に及んでこうしたコメントを言われたことには少なからず驚きました。しかも彼は税務のプロであり、過失の「申告漏れ」と故意の「所得隠し/脱税」との違いは十分承知しています。「税金払ってなかったんだから、脱税は脱税でしょ」という「交通事故で人を引き殺した奴は殺人罪だ」と同じ低レベルの議論でないことは明らかです。

しかし、じっくり考えるとこの税務官僚の本音とも言えるコメントに、クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件の背景の本質が見えるように思えます。

少し考察してみたいと思います。

まず、過失であれば謝罪する必要がないとは全く思いません。それは被害者感情があるからです(但し、この被害者感情をいたずらに強調することは、社会の厳罰化要請を招き、「犯人を見つけ出して厳罰に処さなければならない」という捜査当局、司法当局の自ら感じるプレッシャーが冤罪の一要因となる危険性は、十分考慮しなくてはいけない問題です。特にメディアの在り方や裁判員裁判の問題との関連は議論に値するものですが、それは別の機会にということで)。

例えば先の交通事故の例を取ります。過失の事故で愛する家族を失った人が求めるものは経済的賠償もさることながら、まずは加害者による謝罪ではないでしょうか。なぜなら失ったものをお金では取り戻せないからです。

ここで、加害者が奇跡を起こせる人間で、事故死した人を生き返らせ、更にお詫びとしてその人が癌であれば、それまで完治してあげたとすればどうでしょうか。被害者感情に大きな差が生じるのは言うまでもありません。

そして失われたものを取り返しかつ、それ以上に補償できるというのが経済犯罪におけるペナルティの大きな特徴です。つまり経済犯罪と人に危害を与えるような犯罪とは、ペナルティの科し方にも大きな違いがあるべきです。経済事件においては、必要以上に謝罪を求めるかのような断罪の仕方には抑制的であるべきだと思われます。

税務官僚は、仕事に真面目な人が多いのだと思われます(私の友人も実に真面目な奴です)。そして同じレベルの真面目さを、(特に税務に関して)人にも求めるのだと思います。

「税金を払うのは国民の義務だ」→「そんな当たり前のこともできない奴は過失であろうが「道義的に」責任がある」→「ましてやそれに対する糾問に否認するなど言語道断だ」という思考回路が、私の無実を知りながら、それでも敢えて刑事告発して、それをよしとした査察官の腹の底にあったのではないかと想像します。それが否認に対する「否認料」につながったのではないでしょうか(注)。

査察部取調べのさ中の統括官との面談の中での「証拠はありません。ただ、私たちの仕事はあなたを告発することです」という言葉の背景もそういうところにあるのではないでしょうか。

税務官僚が「正しい納税をしている者もいるのに」と考え、過失であろうが正しく納税しない者に嫌悪感を持つことは肝に銘じておこうと思います。その嫌悪感が使命感につながり、彼らが仕事をする原動力になっているであろうと思います。

過少申告は自分の税務に関する知識の足りなさによって起こったと当初から認め、反省し、相応のペナルティを科されることには全く依存はありませんでした。私がファイティングポーズを取ったのは、事実と異なる脱税の濡れ衣を国税局、検察に着せられたからです。しかし、それをもって「反省していない」と感じる方がいることを理解しなければいけないということだと思います。

私は、一旦刑事被告人とされた以上、そうした無理解による非難という十字架を一生背負うことは覚悟しています。しかし、国賠審では、私と同じような犠牲者を出さないためにも、経済事件における処罰行為の在り方も問うていきたいと思っています。

(注)
ここをクリック→ #検察なう (325) 「『否認料』という冤罪の要因」









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category: クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

2014/06/12 Thu. 00:37 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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