「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

09« 2017 / 10 »11
1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.

#検察なう (404) 「森炎氏著『教養としての冤罪論』解題(1)」 6/26/2014 

#検察なう (404) 「森炎氏著『教養としての冤罪論』解題(1)」 6/26/2014


教養としての冤罪論

元判事であり私の国賠審代理人チームの一人である森炎氏の最新著書『教養としての冤罪論』には、冤罪の問題を考察するに当たって多々新しい視点がありました。その内容を何回かに分けてご紹介します。

なぜこの本が読まれるべきか、そしてタイトルの意味するところを著者自らまえがきで述べています。

「裁判員制度では、市民の自由と権利を同じ市民が守るという側面が最も重要になる。市民参加、司法の民主化の理念の求めるところは、ただ市民が犯罪者に刑罰を下すことではなく、より以上に、同じ市民の自由と権利を守り抜くことにある。市民自体が「無罪の正義」を守り抜かなければならない。」

「冤罪は言うまでもなく絶対的不正義である。この冤罪現象を裁く側から見れば、自らが絶対的不正義を生み出すことを意味する。市民が裁判で間違った場合は、この世の中に絶対的不正義-「絶対悪」-を生み出したことになってしまう。」

「絶対悪の謗りを受けないためにも、市民は、何としても「無罪の正義」を守り通さなければならないわけである。」

我々一般人の多くは、自分が冤罪に巻き込まれるということをなかなかイメージしにくいと思われます。本来は誰しもが巻き込まれるリスクがありながら。

それでは、あなたが裁判員となることはいかがでしょうか。有権者である以上、裁判員となる可能性があることはご理解頂けると思います。そしてその対象事件は軽犯罪ではなく、死刑相当の重罪の可能性が少なからずあります。冤罪に関する基礎的な理解がなければ、無辜の人をあなたが絞首台に送る可能性さえあると森氏は指摘しています。

そしてこの本の序章では、森氏は「刑事裁判はすべて冤罪である」と看破しています。この言葉の意味するところは、「冤罪リスクが有罪・無罪の判断要素である」というものです。

若干哲学的な警句のように聞こえるかもしれません。少し言葉を補足します。

もし訴追権力たる検察が100%正しければ、裁判は不要になります。しかし裁判が行われ、ごく稀ではありますが無罪判決もあります。つまりその場合、検察の有罪主張は冤罪を招くものであったということです。刑事裁判において、裁かれるのは被告人ではなく、検察の有罪主張であり、常にその中に冤罪リスクが内在する可能性を意識することが有罪・無罪を判断する基本姿勢であるということです。

森氏は更に言葉をつなぎます。

「稀にしか発生しない例外的不正義として冤罪を観念するのではなく、常に存在するそこにあるリスクとして考えることで、はじめて市民裁判が可能となる。」

そして、この書が意図することは、個別の冤罪事件を詳細に扱うことではなく、「冤罪の特徴と発生メカニズムをイメージで提示する試みである」と森氏は述べています。

「生の冤罪事象の類型化によって、理念型としての「冤罪性」が抽出される。理念型としての「冤罪性」が定まれば、現象自体の再構成が可能となる。再構成のメカニズムが作動すれば、それによって、複雑に入り組んだ諸現象が自然に秩序立てられ、意味づけられ、単純化され、明確化されていくだろう。最終的に、主体としてのわれわれは、明晰な認識に至るにちがいない。」

ここで言う理念型とはマックス・ウェーバーの論じる思考法と説明されています。社会学を学んだ人にはすんなり入るかもしれませんが、社会学に馴染みのない私にはかなり大上段に構えた論調です。

私がイメージするこの書の目論見は以下のようなものです。

競馬の予想にはいろいろな方法があります。出走馬能力の優劣を、出走馬それ自体を見極めてハンディキャッピングするのが予想法の王道です。それは、個々の出走馬の「馬柱」(過去のレース記録)から、その馬がどれだけの力量であるかを見極めるという作業です。

それは、刑事事件において、個々の証拠から事件の全体像を組み立て、事件の実相に近づこうとする努力に似ています。

これに対し、競馬の予想方法の一つに、データ馬券というものがあります。それは過去の当該レースデータを分析して勝ち馬や連対馬の共通項をあぶり出し、その共通項に一番当てはまる馬を勝ち馬や連対馬と予想する方法です。具体的には、例えば日本ダービーのステップレースの王道は皐月賞ですが、「ダービー勝ち馬は、前走皐月賞の場合、皐月賞4番人気以内かつ着差0秒5以内、ないし着差0秒2以内(この場合人気は問わない)。但し、皐月賞1番人気馬は着順、着差を問わない。それ以外の皐月賞出走馬は消し。皐月賞以外をステップレースとする場合は、勝っていることが条件」とするような予想方法です。

刑事事件では、事件の外形に過去の冤罪事件と共通するある特定のパターンが見られた場合、その有罪主張には冤罪リスクをより意識しなければならないとするものです。

刑事事件において理念型としての「冤罪性」を抽出する作業は、競馬の予想で言えばデータ馬券のようなものだということです(というのが社会学オンチの私の理解)。

森氏は序章に続く第一章でも、総論的に、真実究明がなされると考えることは欺瞞であり、その審理の行きつく先は曖昧模糊としたものであると述べています。

「犯罪のような過去の事実は、どうやっても、経験的、実証的には確かめることができない。真の意味では、論理的推論によって定められない。

そのため、結局、裁判では、本来厳格であるべき証明が「合理的な疑いを容れない証明」に変質し、かくの如き曖昧模糊とした尺度で有罪・無罪が決められ、場合によっては「死刑か無罪か」が決められてしまう。

さりながら、いや、さればこそ、われわれは、これまでの過去の限界事例(すなわち、冤罪事象)を通じて、その尺度を少しでも明確化しなければならない。どうしても、過去の冤罪実例を全般的網羅的に知る必要が出てくる。」

次回以降、森氏が「冤罪ライン」と名付ける、冤罪リスクが高いパターンを個別に検証していきたいと思います。

ここをクリック→ Amazon『教養としての冤罪論』

6/26/2014










好評発売中!!

ここをクリック→ Amazon カスタマーレビュー


表紙1







ここをクリック→ Wikipedia クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件

ここをクリック→ 八田隆ツイッタ―

ここをクリック→ #検察なう 刑事司法の矛盾、冤罪と戦う八田隆と全ての人を支援する会






TwitterやFacebookでの拡散お願いします。

category: 刑事事件一般

2014/06/26 Thu. 01:26 [edit]   TB: 0 | CM: 0

go page top

この記事に対するコメント

go page top

コメントの投稿

Secret

go page top

トラックバック

トラックバックURL
→http://fugathegameplayer.blog51.fc2.com/tb.php/720-9d121949
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

go page top