「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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#検察なう (406) 「司法取引導入の是非を問う」 7/3/2014 

#検察なう (406) 「司法取引導入の是非を問う」 7/3/2014

法制審議会の「新時代の刑事司法制度特別部会」が先月30日に開かれ、法務省が最終案を提示しました。これにより日本においても司法取引が導入されることとなります。

冤罪が確実に増える司法取引導入が決定的となっても、全く議論の起こらない日本は、やはり冤罪には関心が低いのだとがっかりせざるを得ません。

司法取引そのものの是非よりも、捜査当局が引き返す勇気を持たず、彼らのストーリーに沿った有罪立証がそのまま公判で追認されている日本の刑事司法制度の下で、捜査権力の意向に沿った虚偽自白を招きやすい司法取引が導入されることが問題であることをまず明確にしておきたいと思います。

司法取引は有罪立証、特に端緒となる小さな悪から巨悪の訴追をするには非常に有効な手段であり、捜査当局としてはのどから手がでるほどほしかったものだと思います(私が彼らであればそう考えます)

そもそも法制審議会の特別部会で様々な刑事司法改革が議論されることになったのは、郵便不正事件を受けて、検察の在り方が問われ、彼らの「角を矯める」ためのものでした。それがいつのまにか、本丸の取調べの可視化は、全面可視化どころか刑事事件の約3%に過ぎない裁判員裁判と年間100件もない検察の独自捜査のみに限定され、逆に司法取引や通信傍受(いわゆる盗聴)の対象拡大という、彼らの角を更に研ぎ澄ます方策に転換されてしまったことが、実に法務・検察官僚というのは狡知に長けた人たちなんだなと感心してしまいます。

やはりテクニカルな技術論では刑事司法改革は達成できず、捜査権力の正しいインセンティブ付けから議論しないと、この問題は常に法務・検察官僚の焼け太りになるように感じます。

司法取引のディテールに入ります。

司法取引が積極的に行われているのはアメリカです(それに比して、大陸法のヨーロッパでは、そもそも罪状認否という制度がないため、司法取引そのものがそぐわないものです)。

アメリカにおける司法取引には3つの種類があります。

1)自己負罪型司法取引
2)捜査・訴追協力型司法取引
3)刑事免責制度

1)は、被疑者・被告人が自らの罪を認める代わりに、検察官から起訴の免除、より軽い犯罪事実での起訴、より軽い求刑といった利益が与えられるものです。

2)は、被疑者・被告人が共犯者等の他人の犯罪事実の捜査や訴追に協力することによって起訴の免除やより軽い犯罪事実での起訴、より軽い求刑、自らの供述を自己に不利益に用いられないことといった利益を与えられるものです。

3)は、検察官が証人尋問を請求するに際し、必要に応じて、証言あるいはそれに由来する証拠を証人の刑事事件において不利な証拠として使用しない代わりに、証人に証言を強制することの決定を裁判所に求めることができるとするものです。

今回の法制審議会案で導入が決まったのは、2)の捜査・訴追協力型司法取引(但し、経済犯罪や銃器・薬物犯罪に限定)と3)の刑事免責制度です。

アメリカにおいては、被告人が有罪答弁をした場合、証拠調べが行われることはなく直ちに量刑手続きへと移行するため、1)の自己負罪型司法取引は、刑事司法全体のコストを抑え、限られたリソースをより重要な事件に振り向けるという役割をなしていると思われます。

日本においては、自白偏重主義でありながら、「自白したからといって罪を軽くすることを認めたら、それを材料に交渉に持ち込もうとする被疑者・被告人が増えてくるのは必至でありそれは許し難い」とする捜査権力の思惑が1)を採用しなかった理由だと憶測します。捜査権力が欲しいのは、真に刑事責任を問うべき(と彼らが考える)上位者の検挙・処罰に資する2)であり3)であることは説明を要しないと思います。

横行する振り込め詐欺で、(最近は現金授受が手口として増え、現金受取りを担当する)末端の「受け子」をいくら検挙しても黒幕である「番頭」を検挙しないことには、詐欺はなくならないとか、麻薬の売人よりも背後の組織を叩かなければ麻薬犯罪には対処できないという論理はよく分かります。

しかし、自分の罪を軽くするために人を売ってもいいということになれば、無実の者の「引っ張り込み」による冤罪のリスクは格段に大きくなります。そこでは裁判官の供述の信用性を見極める力が問われることとなり、今まで以上に裁判官が冤罪の防波堤となることの重要性は増すものです。刑事裁判の有罪率が99.9%を越える日本の刑事司法で、その期待をしていいものなのかどうかを我々国民はじっくり考える必要があると思います。

私の事件では、会社同僚の取り調べで、彼らも私と同じく株式報酬の無申告だったため「お前も告発されたいのか」と恫喝されたと聞きました。それが司法取引という形で、偽証を教唆されたとしたらどのような結果になるのか想像するだけでもぞっとします。

刃物が切れるかどうかを吟味する前に、その刃物を使う人間がその刃物を使うに適性かどうかを吟味しなくてはいけないということです。司法取引の問題は、本来されるべき使う者の吟味を棚上げにして「この刃物は切れるからいいんだ」と言っているように聞こえます。

捜査権力が過ちを犯した場合に、彼らに引き返す勇気を担保するような制度がない以上、今以上に彼らの権力を拡大することは冤罪を増やしこそはすれ、減らすことは絶対ないということを是非ご理解下さい。

7/3/2014









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category: 刑事司法改革への道

2014/07/03 Thu. 01:54 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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