「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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「死刑制度について考える (4) ~裁判員制度と死刑」 

「死刑制度について考える (4) ~裁判員制度と死刑」

毀誉褒貶相半ばする裁判員制度ですが(元東京地裁判事・最高裁調査官の瀬木比呂志氏の著書『絶望の裁判所』では、刑事系裁判官と民事系裁判官の政争の道具として施行されたという暴露もありましたが:注)、私は積極的に支持したいと思います。

その理由は、裁判員を経験した方の大部分がそれをよい経験だったと感じているからです。裁判員経験者へのアンケートは裁判所が毎年行い、裁判所のHPにアップしています。

ここをクリック→ 裁判員等経験者に対するアンケート・調査結果報告書(平成25年度)

そのアンケートによれば、裁判員経験者の95.2%がよい経験だったと感じています(p.8)。しかも選任前には「やりたくない」と思っていた人でも、終わってみれば88.6%の人がよい経験だったと思ったと答えています(p.52)。

同年調査資料編のp.181以降に掲載されている彼らの具体的な感想は、裁判員制度について考える際には読むに値するものです。

ここをクリック→ 裁判員等経験者に対するアンケート・調査結果報告書 資料編(平成25年度)

裁判員制度支持派の私ですが、その制度の最大の欠陥と思っている点は2点。裁判員が有罪・無罪の判決以外に量刑も決めることと、評議が裁判員のみではなく職業裁判官も加わる点です。

裁判員制度に関してはまた別の機会に議論したいと思いますが、特に死刑制度との関わりで、上に挙げた欠陥の第一点目は非常にシリアスな問題です。

死刑制度を支持する者の覚悟として、もし自分が裁判員に選任された場合に、自らの判断で人の命を奪うということになり得ることを理解することが必要だと思われます(私が裁判員として死刑を宣告したならば、死刑の執行を見届けるのが自分の責任だとまで考えています)。

裁判員裁判で初めての死刑判決を下した2010年11月の裁判の事例を挙げます。死刑制度の是非をご一緒にお考え頂きたいと思います。

被告人は覚せい剤密輸組織のメンバー。生きたまま電動のこぎりで首を切断するなどして、2人の男性を殺害し、横浜港に遺体を捨てるなどした強盗殺人など、9つの罪に問われていました。2人殺害というのは死刑と無期懲役のボーダーラインですが、営利目的であり、殺害方法や累犯という罪状から量刑相場(←嫌な言葉ですが)では死刑も致し方ないという事案でした。

一審の朝山芳史裁判長は「想像し得る殺害方法の中でも、最も残虐な部類に属し、その瞬間、被害者が感じたであろう恐怖や、肉体的苦痛は想像を絶するものがある」と主文に先立つ判決理由で厳しく断罪しました。それにもかかわらず、その判決の後、「重大な結果だが、われわれも慎重に判断しました。しかし、控訴することを勧めたい」と、極めて異例な説諭をしたことで話題となりました。

被告人の弁護人ですら「この判断をしておいてね、『控訴したら』というのは、よく分からんです、わたし。正直言って、よく分からないですね」と困惑を隠し切れなかったこの説諭が、評議で死刑の判断に迷いがあったことの吐露だというのは全く的外れでしょう(そう批判しているメディアも少なからずあったので)。

これは被告人に対しての配慮などというものではなく、死刑判決を出した裁判員のことを思っての説諭だと思われます。控訴すれば裁判員の判断が留保されることを意味しますが、控訴審で職業裁判官のみの判決も死刑となれば、死刑判決を下した裁判員が心理的に救われるであろうという配慮だと思われます。

それほど死刑を宣告するというのは、精神的に過酷な経験だということです。

このことを報じた新聞社説です。

「裁判員と死刑―仲間が下した重い決断」 (朝日新聞社説11・17)

裁判員裁判で初めての死刑判決が言い渡された。

男性2人を残忍な方法で殺害し、遺体を捨てたという事件だ。横浜地裁の法廷で被告は犯行を認め、どんな罰でも受けると述べていた。それでも審理にあたった裁判員と裁判官にとって、極めて重い選択だっただろう。

この事件に先立って検察側が死刑を求刑した東京地裁の殺人事件の裁判員裁判は、無期懲役刑が確定している。

判決を分けたものは何か。

死刑が許される基準として最高裁が示したいわゆる永山基準があり、東京地裁も横浜地裁もそれをよりどころとした。しかし二つの事件は、被害者の人数こそ同じだが、犯行の状況も、動機も、被告の情状もすべて異なる。

証拠を検討したうえで、裁判員と裁判官が全人格をかけて結論を導き出したとしか言いようがない。裁判という営みは、結局はそこに行き着く。

これまでは、その営みを職業裁判官に委ねていれば済んだ。「ひどい犯行だ」と眉をひそめたり、「判決は甘い」と批判したりして、そこで事件を忘れ、日々を過ごしていた。

だが裁判員制度が始まり、状況は一変した。私たちは、いや応なく究極の刑罰に向き合わねばならなくなった。「自らの意思でそうした仕事を選んだのならともかく、なぜ普通の市民が」と疑問を抱く人も多いかもしれない。

しかし、自分たちの社会の根っこにかかわる大切なことを、一握りの専門家に任せるだけではいけないという思想が、この制度を進める力となった。長年続いてきた「お任せ民主主義」との決別をめざしたと言っていい。

きのうの判決はそのひとつの帰結であり、これからも続く司法参加の通過点でもある。熟議を重ねて到達した結論は、表面をなでただけの感想やしたり顔の論評と違って、圧倒的な存在感をもって迫ってくる。

判決言い渡しの後、記者会見に臨んだ裁判員の男性は、背負ってきた重圧を語り、あわせて「日本がいまどんな状態にあるかを考えると、一般国民が裁判に参加する意味はあると思う」という趣旨の話をした。

こうした経験の積み重ねは長い目でみたとき、この国の姿をきっと変えていくに違いない。死刑の存廃をめぐる論議も、国会を巻き込みながら、従来とは違う深度と広がりをもって交わされていくことになるだろう。

折しも来年の裁判員候補者31万人に通知が発送され、それぞれの手元に届いているころだ。家族を含めればより多くの人が、これを機に、犯罪とは何か、人を裁くとはどういうことかに思いをいたしているのではないか。

私たちの仲間が重い判断をした。いまはそれを静かに受け止め、自らの問題として考えを深めていきたい。
(引用以上)

個人的には、裁判所は死刑判決を下した裁判員に死刑制度に対しての考え方に変化があったかを聞くべきだと思います(死刑制度に反対すると、裁判員にはなれず、もし死刑制度を見直すべきという意見があっても、それは表に出さないため、そうした質問はタブーなのだと想像しますが)。

(注)
瀬木比呂志氏著『絶望の裁判所』

絶望の裁判所

p.66~67
「私は、裁判員制度に含まれる市民の司法参加の意味とそれによる刑事裁判制度の改善、冤罪防止の機能という長所は評価しつつ」
「その導入に裁判所トップの不正な思惑がからんでいたこととは、また別の問題である。民主国家である以上、右のような不正については国民、市民は知る権利があると思う。」
(裁判制度導入の)「実質的な目的は、トップの刑事系裁判官たちが、民事系に対して長らく劣勢にあった刑事系裁判官の基盤を再び強化し、同時に人事権をも掌握しようと考えたことにある」
「実は、これは有力な見方というより、表立って口にはされない「公然の秘密」というほうがより正しい。」












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category: 死刑制度について考える

2014/09/22 Mon. 01:24 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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