「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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#検察なう (426) 「国=被告の主張を記した準備書面に関し Part2」 10/20/2014 

#検察なう (426) 「国=被告の主張を記した準備書面に関し Part2」 10/20/2014

本日10月20日、私の国賠審第二回口頭弁論が行われます。次回ブログで、そのご報告をする予定ですが、その前に、前回に引き続き、被告である国の主張を記した準備書面に関して述べたいと思います。

言うまでもないことですが、私の刑事裁判と国賠審での一番大きな違いは、原告と被告が入れ替わっていることです。刑事裁判で裁かれていたのが私であれば、国賠審で裁かれるのは私ではなく国であるはずです。

ところが、準備書面を読んで私が驚いたのは、その内容が、いかに私が怪しかったかという刑事裁判で検察が取った主張に終始していることです。裁かれる対象が国税局査察部や検察特捜部であれば、当然、彼らがどのような捜査・取調べをしたかを具体的に述べ、それがほかの事件の捜査・取調べと逸脱していないことを主張すべきです。

刑事裁判に先立って私の取調べが行われましたが、国が被告となっても、国税局査察官や特捜部検事の取調べが行われたということはないようです。素人考えなのかもしれませんが、違和感のあるところです。

既に裁判で否定されていることを繰り返し述べたところで、いかに捜査権力の捜査・取調べが適正であったかの言い訳には全くなっていないというのが私の感想です。準備書面の国の主張は「弁解の体をなしていない」というのが私の第一印象でした。

準備書面が検察の冒頭陳述、論告、控訴趣意書の焼き直しであるということは、その根本的欠陥をそのまま引き継いでいるということを意味します。その根本的欠陥とは「消極証拠の評価を全く行っていない」という点です。

証拠とは「事実・真実を明らかにする根拠になるもの」です。私の刑事裁判においては、過少申告という争いのない事実に対し、争点は、その過少申告が故意であったか、過失であったかの一点でした。故意であったのか、過失であったのかを明らかにする証拠には、「故意でなければ説明不可能」「故意である方が合理的」「過失である方が合理的」「過失でなければ説明不可能」というものがあります。前2者が有罪立証の積極証拠、後2者が消極証拠と呼ばれるものです。

検察の主張には「故意でなければ説明不可能」というものは全くなく、過失であっても矛盾のない証拠を無理やり故意であると解釈するものばかりでした。そして、「過失である方が合理的」「過失でなければ説明不可能」という証拠は言及すらしませんでした。

有罪(故意)であるか、無罪(過失)であるかを判断する際に、積極証拠と消極証拠の両方を評価しなければならないことは、司法に素人な者にとっても明らかなことです。しかし、準備書面においても、消極証拠は言及すらされず、積極証拠を列挙するのみというのが国の主張です。これが検察の論証であれば、百歩譲って有罪にするのが彼の仕事という間違った認識の下に、消極証拠には目をつむったのだと理解されます。そして我々は、そうした捜査権力のあり方を批判して国賠審で争っています。

国賠審で国が主張すべきは、なぜ国税局査察部や検察特捜部が積極証拠の評価だけでよかったかの弁解です。それが全くなされていないことが、私が「弁解の体をなしていない」と感じた理由です。

私の刑事裁判では、一審判決は、弁護側主張の消極証拠を採用せずとも、検察主張の積極証拠ですら有罪立証たり得ないとするものでした。そして控訴審は、その判決を支持すると共に、有罪立証には積極証拠の評価だけではなく、消極証拠の評価も必要であると検察の論証を批判しました。

国賠審で主張するに当たり、国(法務局訟務部)は、控訴審での判決を理解しているのだろうか、角田裁判長の言葉を分かっているのだろうか、と訝るばかりです。

そして、準備書面で主張される、いかに私が怪しかったかという有罪立証の積極証拠も、依然しょぼいものです。

いくつかの例を準備書面から拾ってみます。

膨大な証拠の中から、クロっぽいものだけを抽出して、それらしく提示するということが準備書面においてもなされています。

その一例が私のメールに関する論証です。

メールは、その時点での意図を表すものとして非常に重要な証拠です。しかし、メールで表された真意を理解するには、それまでのやり取りを踏まえる必要があることは言うまでもないことです。

私は、税務調査開始時には、源泉徴収票という言葉すら理解していないほどの税務オンチでしたが、持ち前の吸収力で、その後2週間足らずの間に、何が争点となっているかを理解し、それなりの対策をイメージできるようになりました。その助けとなったのが、事情通の私の会社元同僚の友人でした。そして、彼とのメールのやり取りの中で、会社の100人あまりの株式報酬無申告の者の共通認識をまとめた「悪意ある仮装隠蔽があった場合の重加算税を回避するのがまず重要」という旨のメールを取り出して、犯行動機を合理的に推認し得たと言ってのけています。情報の一部を切り取って、都合のいいように解釈する典型的な例です。

また準備書面では、国税局査察部での取調べの調書と検察特捜部の取調べの調書の間に、主張の変遷が見られるため、私の主張は信用ならないとしています。これは非常に興味深い点です。なぜなら、国税局査察部の取調べ調書は、一人称で作成され、取調べの内容を、査察官が自らの言葉で作文したものです。それに対し、検察特捜部の取調べ調書は、全て問答形式で逐語的に記載されています。そのどちらが私の主張を正しく反映しているかは言うまでもないことですが、その二者に差があると主張することは、一人称での捜査官作成の調書の信用性を自ら否定していることに他ならないものです。

また、国税局査察部のリークに関しての主張は、「各報道機関が本件告発を記事として掲載するに至ったのは、独自の取材に基づいて行われたものと思料されるが、東京国税局がかかる取材に関与した事実もない」としています。

告発された本人ですら知らなかった事実を、告発した側の情報漏洩なしに、どこから各報道機関が情報を得るというのでしょうか。そして、その言い訳が通用しないことを見透かしたように、民法第724条の「不法行為による損害賠償の請求権は、被害者又はその法定代理人が損害及び加害者を知った時から三年間行使しないときは、時効によって消滅する」という条文を引用して、リークに関する損害賠償は時効であると開き直っています。盗人猛々しいとはこのことではないでしょうか。

二度と捜査権力の暴走による犠牲者が出ないことを、この国賠審を通して目指していきたいと思っています。今後の展開に是非ご注目下さい。

10/20/2014









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category: 国家賠償請求訴訟

2014/10/20 Mon. 01:48 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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