「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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#検察なう (427) 「国賠審第二回口頭弁論報告~陳述をさせて頂きました」 10/22/2014  

#検察なう (427) 「国賠審第二回口頭弁論報告~陳述をさせて頂きました」 10/22/2014


先の月曜日の10月20日に、私の国賠審第二回口頭弁論が行われました。そのご報告をさせて頂きます。

当日は爽やかな秋晴れでした。私が裁判所に出向くのは、一審初公判から15回目を数えますが、ひどい雨に降られたことはないという晴天率の高さです。

前2回のブログで、国の主張である準備書面について述べましたが、私の国賠審では、捜査機関が消極証拠の評価をいかに行ったかが非常に重要な論点となります。

第二回口頭弁論において、我々は「消極証拠の評価にかかる証拠」の提出を被告である国に要請しました。具体的には、告発、起訴及び控訴のタイミングで、捜査機関が内部の決済を求めるにあたって作成した書面の開示を求めたものです。代理人チームから小松正和弁護士、郷原信郎弁護士がそれに関する説明を行いました。

その後、今回口頭弁論のハイライトである、私の陳述が行われました。その全文を掲載します。ここまでの集大成ともいうべき私の思うところを述べさせて頂きましたので、是非ご一読下さい。

「村田裁判長、関根裁判官、高田裁判官、陳述の機会を与えて頂き、ありがとうございます。準備書面による被告の主張を受け、原告として私の主張を述べさせて頂きます。

私は、原告ではありますが、同時に国民の一人として、準備書面には少なからず期待していました。それは、国家権力には正しくあってほしいという思いから、私に対する捜査権力の捜査が正当なものであったと、少なくとも通常の理解力のある人には納得できる主張をしてくれていればと期待したからです。しかし残念ながら、その期待は裏切られました。

準備書面における被告の主張は、検察の冒頭陳述、論告、控訴趣意書の単なる焼き直しであり、捜査権力の行為が正当になされたという説得力ある主張では何らなかったからです。

準備書面が検察主張の焼き直しであるということは、その根本的な欠陥をそのまま引き継いでいることを意味します。その根本的な欠陥とは、捜査や取調べで明らかとなった有罪の消極証拠に関し、言及すらせず、積極証拠のみの評価の問題に逃げ込もうとしている点に尽きます。
 
国税局や検察の捜査は、「告発ありき」「起訴ありき」ではなく、真実の追求であるべきことは言うまでもないと思います。そして真実の追求のためには、積極証拠、消極証拠双方の証拠を総合的に判断して結論に至らなくてはならないことも明白です。

そのことは、準備書面において、被告自身、「検察官が、法律の専門家であり、捜査対象となった案件について所得税法違反が成立するか否かを、専門家として当該案件の証拠(積極証拠と消極証拠の双方を含む。)に照らして判断しなければならない」と認めているところです。

『検察の理念』においても、「被疑者・被告人の主張に耳を傾け、積極・消極を問わず十分な証拠の収集・把握に努め、冷静かつ多角的にその評価を行う」とありますが、彼らが私の主張に耳を傾けたという事実は一切なく、『検察の理念』を検察自ら唾棄したことは非常に残念なことです。

控訴審の判決の中で、捜査権力の立証において消極証拠の評価が全くなされていないという角田正紀裁判長以下裁判体の厳しい指摘まで受けていながら、私に対する告発、起訴においてなぜそれが必要でなかったかという弁解をせずして、捜査権力の行為の正当性を主張することはできないものです。

私は、国税局査察部、検察特捜部の取調べに際し、彼らの指摘する積極証拠に論駁すると共に、消極証拠の提示に努め、文書によっても再三消極証拠の示唆をさせて頂きました。具体的には、強制捜査以前のメールを一覧すれば故意がなかったことが自明であるとして査察部に宛てた陳情書、及び、もし私が脱税を意図していたならば当然取ったであろう行動を記して特捜部に宛てた陳情書といった文書です。

査察部、特捜部の類稀なる捜査能力をもってすれば、そうした消極証拠の裏取りは難なくされたであろうにも関わらず、取調べにおいて、それら消極証拠に関して問い質されることはなく、公判においても、彼らはそれらを黙殺するのみでした。

積極証拠のみを評価し、「告発ありき」「起訴ありき」として無実の者を有罪に陥れようとする捜査権力の姿勢、行為が国民の信頼を裏切るばかりか、違法なものであることは明らかだと思われます。

そしてその積極証拠ですら、一審佐藤弘規裁判長以下裁判体に、弁護側主張の消極証拠を評価せずとも合理的な疑いを越えることはできないと判じられた脆弱なものでした。

私は、前回期日の口頭弁論でも陳述しましたように、無罪になったことをもって捜査が不当であったと主張しているつもりは毛頭ありません。外形的に過少申告という疑うべき事実があった以上、捜査を受けたことに関して何ら異議を唱えるものではありません。

しかし、その捜査で収集した証拠を予断なく精査すれば、誰しもが辿り着く客観的事実に目をつむり、規定路線を突き進んだそのあり方を批判しているものです。

昨今、刑事司法改革の必要性が国民の意識として高まっている中の一つの議論として、証拠の全面開示の問題があります。その必要性がないという主張は、捜査権力が被告人、弁護側にはない圧倒的な捜査能力によって収集した証拠を、真実の追求のために消極証拠をも開示してのみ理にかなうと言えます。もし彼らが、有罪立証に必要な積極証拠のみを抽出するならば、彼らは「ベスト・エヴィデンス」の意味を全く履き違えて理解しているとしか言いようがありません。

私は、当事者になるまで冤罪に関して知識も関心もありませんでした。しかし、なぜこのような、一般市民感覚を持って推し量れば理不尽でしかないことが起こり得るかを、数多くの冤罪事件を知り、その共通項を見出しました。その共通項とは、捜査権力の初動ミスと引き返す勇気の欠如によって導き出された誤った結論を、裁判所が見抜けないというものでした。私の無罪判決は、同じパターンで作り出されようとした冤罪を、裁判所が未然に防ぐという、裁判所が本来あるべき機能を果たした結果です。

私は、私自身が無罪になったからそれでよしとするつもりはなく、この事例を是非とも今後の刑事司法が正しくあるための試金石としてほしいと思っています。

捜査権力の初動ミスは防ぎようのないものですが、彼らが引き返す勇気を持ちさえすれば、優秀な捜査権力の捜査力と公正な裁判所の判断力により、我が国が、世界に冠たる冤罪のない法治国家だと胸を張れるものと考えます。そのためにも、誤ったことは誤っていると裁く正義が裁判官の皆さまに求められていると信じています。

何卒、未来の鑑となるご英断を是非ともお願いします。」

今回も多くの方に傍聴に来て頂きました。ありがとうございます。終わってから「拍手したかったよ」と言われたのがうれしかったです(法廷では拍手禁止)。

国賠審は長丁場が予想され、これから年単位の時間が費やされるものと思われます。但し、当面、私の出番はこれで終わりです。次回期日(12月15日)は公開の口頭弁論ですが、それ以降は非公開の場で、私の代理である代理人チームと国の代理である法務局訟務部が、プロ同士ガチンコで相まみえることになります。

刑事司法が正しくあるために、今後も誠意努力致しますので、是非とも御支援のほど、よろしくお願いします。

10/22/2014












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category: 国家賠償請求訴訟

2014/10/22 Wed. 23:33 [edit]   TB: 0 | CM: 1

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この記事に対するコメント

八田さま
陳述文を読ませていただきました!私も逮捕・起訴・裁判を経験して初めて
我が国の司法の現実を知ることとなりましたが、勾留中に
この国の司法に正義はないのだろうか?そんな思いで過ごした経験があります。取り調べも真実を見ようとする姿勢は全く感じられず
どうしたら、事件として成立するのか?その一点に集中して、
事実を捻じ曲げた調書を取ろうとする姿勢に違和感を感じたものでした!
私の取り調べ最中にも何でこれが事件なのか?と感じた捜査員もいたようですが、そこは上意下達の組織、下の意見が通るはずも無く、上司は組織の
面子のみに拘り正に引く勇気などは微塵もありません。初動捜査のミスで
捜査本部を設けた以上、予算を申請して捜査本部を設置した以上は何がなんでも事件として起訴しなければ面子が立たない…故に何としても事件を作る…そんな
思いであったように感じています。真実は自分が一番理解をしています。
裁判では執行猶予付きの刑をうけましたが、数年経った現在も日本は法治国家である…という言葉には到底共鳴はできません。八田さんの言われるように真実に目を背け有罪方向にひたすら何故走るのか?一国民として到底理解できるものではありません?個人が受ける傷は彼らが想像する以上に深いものがあります。その痛みが共有できればおのずと結果もまた違う方向に向くのだろう…と思いますが、どんな取り調べをしようが、どのようにして調書を作成したのかなど、裁判では全く持って問題とされません。村木事件の特捜部長の大坪氏なども逮捕・
勾留されて初めて勾留されている人間の気持ちが理解されたようですが…
一般社会では間違いを起こせば、責任を取り謝罪をするのが人間として
当たり前のことですが、警察・検察が余程の事情が無い限り責任を取ったり
お詫びをすることなどはありません。
先のウィルス事件でも罪のない学生さんが刑を受けましたね…
どのような取り調べを誰がどのようにして調書を作成したのか?
公表されてはいません。被疑者となった学生さんは新聞などでも
報道され、どのような思いで当時を過ごしたのか?また、その家族はどのような思いであったのか?いまも当時を引きずりながら生きておられるのではないかと…そんな思いでおりますが、当事者が首になったとか、全く持って報道されません。何かがおかしい…そんな思いは私だけではないと思っています。八田さんが裁判で少しでも冤罪を無くそうと努力しておられる姿には心より敬意を表します。またこのブログが続く限り拝読させていただきます。
いつも応援させていただいております。八田さんの行動が少しでも世界に誇れる法治国家として中世の裁判と揶揄されることの無い
司法改革へと繋がっていくことを期待致しております。

#- | URL | 2014/10/23 Thu. 02:33 * edit *

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