「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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#検察なう (448) 「郷原信郎氏、森炎氏共著『虚構の法治国家』を読んで」 2/5/2015 

#検察なう (448) 「郷原信郎氏、森炎氏共著『虚構の法治国家』を読んで」 2/5/2015

私の国賠審代理人チーム(注)の二人がこの度共著を上梓しました。タイトルは『虚構の法治国家』。

虚構の法治国家

そのメインテーマは、森炎氏によるまえがきに高らかに謳われています。抜粋引用します。

「本書は、郷原信郎さんと私が、それぞれの古巣である検察と裁判所を批判したものであるが、ただ検察批判と裁判批判の合作というにとどまらない。

日本の刑事司法は、きわめて特殊なあり方をしているので、検察と裁判所、両者を一つの有機体としてとらえないと、本当の意味での批判は成り立たない。たとえば、裁判所だけを取り上げて論じても、実際には日本の刑事司法の主役は検察で、裁判所は検察に大きく依存しているので、批判はおろか、実像さえ十分には明らかにできない。

検察=裁判所を渾然一体となった一つの「法権力」として把握する必要がある。

それは、有罪率99.57%(1997年度「司法統計年報」)、勾留決定率99.9%(同年度「検察統計年報」などの統計数字が証明している。そして、そこには大きな矛盾が隠されている。

本書は、検察と裁判所が一体化した「法権力の城」に対する批判書であり、その意味では、日本ではじめての試みと言っても誇張ではないと思う。

日本の刑事司法は、法制度上の区別を無化するほどに、検察庁と刑事裁判所が一つに溶け合った壮大な権力メカニズムとして存在している。そこには「人質司法」(罪を認めない限り身柄を拘束し続けるという扱い)に代表されるような種々の無情なカラクリが隠されていて、完全有罪率や完全勾留率の中に国民を無理矢理に押し込めようと強力に作動している。正義や真実を標榜する司法の水面下では、矛盾を含んだ複雑怪奇な仕組みが外からは見えにくい形で詐術的に作用している。そのために、逆説的に完全有罪率や完全勾留率に限りなく近づくというみせかけの現象が生じているにすぎない。

もし、何の矛盾も仕組みもなく、文字通り、それらの数字が刑事司法の真実を表しているとすれば、日本の検察権力は、他の先進国には類を見ないほど超絶的に公正無私であるということになる。検察の起訴には99.75%間違いがなく、検察官が行う勾留請求(身柄拘束請求)は99.9%正当であるならば、検察組織と検察官はほとんど神的に完璧である。そして、それが、自ら「精密司法」を名乗る裁判所によって公証されていることになる。日本では、完璧な検察と正確無比な裁判所によって世にも稀な素晴らしい刑事司法が実現している―そんなはずはない。

本書を最後まで読んでもらえれば、日本の法権力は、司法の正義どころか、不正の原理で動く巨大な虚構であることがわかるだろう。」
(引用以上)

裁判官が検察官寄りだとか、裁判官は検察官の言いなりになっていると批判されることがあります。しかし、こうした見方も森氏によれば、むしろまだ「好意的な見方」だと本書では指摘されています。裁判官は消極的に言いなりになっているだけではなく、もっと積極的に検察に寄りかかっているとするものです。そこでは無罪判決を書くことが裁判官のモチベーションとはなり得ず、「微妙な事件や検察が十分に法律構成し切れなかった事件を証拠評価上あるいは法律構成上、うまい理屈をつけて「見事な」有罪判決を書くこと」が、検察官に優ったと裁判官のプライドを満足させるのであるという森氏の指摘は、刑事司法がどういったものかを当事者の立場からかじった私をしても震撼せしめるものです。

また郷原氏の、検察の判断が「事実上の司法判断」として機能し、人質司法は被疑者に「犯罪者の烙印」を押すことで容認されているとする指摘は、非常に納得のいくものです。

郷原 「刑事事件について刑事裁判手続きを開始させる行政上の判断に過ぎないはずの検察判断が、実際には、「事実上の司法判断」として機能し、裁判所は検察の司法判断に対するチェック機能を果たしているに過ぎない、というのが有罪率99.9パーセントの日本の刑事司法の現状ですが、それは、日本の刑事司法が社会において果たしてきた、「犯罪者」の烙印を押し「悪者」を社会から隔離する機能と密接な関係があるように思います。

日本では、被疑者が逮捕され身柄を拘束されることや起訴されることによる「犯罪者の烙印」のほうが、裁判所の判決という司法判断より社会的には大きな意味を持ちます。逮捕というのは、刑事訴訟法上は、逃亡のおそれや罪証隠滅のおそれがある場合に、それを防止するための措置に過ぎないはずですが、実際には、身柄を拘束され留置場に入れられることで「犯罪者」というレッテル付けが行われます。そこには、犯罪者である以上、社会から隔離しておくことも致し方ないという判断が含まれています。

「犯罪者の烙印」に関して大きな機能を果たす逮捕・起訴について、全面的に判断権を持っているのが検察です。」
(引用以上)

本書では、こうしたメインテーマに関する概括的な対談の後、章を分けて、過去の冤罪事件、そして最近の郵便不正事件から「検察 vs 小沢一郎の5年戦争」に係る検察批判を論じています。その後に、章を独立して、検察暴走の現在形として美濃加茂市長事件が取り上げられています。

これまでの冤罪を論じる書物では、冤罪被害者の人権救済を主眼として、いかに事件が無罪であるべきかについて語られることが多く、対して、刑事司法の矛盾を論じる書物では、制度論に終始して、生身の事件が見えないことが多かったように思われます。しかし本書は、森氏がまえがきで「日本で初めての試み」と宣言したように、検察=裁判所を渾然一体となった一つの「法権力」として捉え、その弊害を批判した画期的な書だと言えます。

冤罪被害者としては、暗澹とせざるを得ない冷徹な現状ですが、まずは世の多くの人がこの現実認識を共有する必要があると強く感じます。

私の無罪判決は、この書に書かれている状況からは、生まれるはずがないものです。それでは、その差はどこから生まれたか。そこに思いを至らせれば、この「虚構の法治国家」を変えていくヒントが見つかると思います。私は、その鍵は、自由心証主義により、この渾然一体となった法権力からの飛翔が可能とされる裁判官の変化だと感じています。

是非、本書をお読みになり、現状を認識した上で、私の考えに耳をお貸し頂ければ幸いです。その端緒を示しておきます。

ここをクリック→ #検察なう (279) 「時代が判決を導き、判決が実務を変える」

(注)
ここをクリック→ #検察なう (393) 「国家賠償訴訟に関して (2)~代理人ドリーム・チーム結成!」

P.S.
3月7日、愛知県弁護士会の主催で、「『新時代の刑事司法』は?」と題して元特捜検事前田恒彦氏と名古屋でパネルディスカッションをします。お近くの方は是非お越し下さい。

ここをクリック→ 愛知県弁護士会「取調べの可視化市民集会」

2/5/2015















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表紙1




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category: 刑事司法改革への道

2015/02/05 Thu. 08:01 [edit]   TB: 0 | CM: 5

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この記事に対するコメント

「そこでは無罪判決を書くことが裁判官のモチベーションとはなり得ず、「微妙な事件や検察が十分に法律構成し切れなかった事件を証拠評価上あるいは法律構成上、うまい理屈をつけて「見事な」有罪判決を書くこと」が、検察官に優ったと裁判官のプライドを満足させる」

陸山会事件や三鷹痴漢冤罪事件の推認判決を思い出しました。

こういう問題に全くといっていいほどメスが入らないのは、冤罪被害を他人事として捉え無関心であり続ける世間一般の態度が原因だと思います。

問題ある制度でも、今の日本では一応民意があれば政治が動いて改善されるケースは有ります。何十年と指摘されてきた人質司法や裁判所のあり方について目立った改善が無いのは、改善を後押しする民意が十分醸成されていないからだと思います。

裁判所が政府寄りで三権分立のチェック機能していないというのは民主主義の根幹を揺るがす重大事なのですが、それすら多くの日本人にとっては他人事なのではないでしょうか。国民が想像力を巡らす事や考える事を放棄している様な気がしてなりません。虚構の法治国家どころか、虚構の民主主義といった方がふさわしいかもしれません。

Tri #6Aros7K. | URL | 2015/02/05 Thu. 22:20 * edit *

「虚構の法治国家」とは…まさしくその通りだと思っています。
しかし、私のように裁判を経験した者でなければ所詮は他人ごと
なのだと思います。私が経験から学んだものは誰でもが被告人と
なりうる現実がすぐそこにあると言うことです。
裁判で被告人になるなど自分には関係ないと思っておられる方が
国民の大多数なのでしょうが(私もその一人でありました)…
警察による取り調べそして逮捕勾留、検察による取り調べ
起訴拘留、裁判へとなる訳ですが、拘置所の中で「日本の国は
本当に法治国家」なのだろうか?と毎日考えておりました。
警察の取り調べでは真実に目を向けると言うよりは、どうしたら
事件にできるだろうか?その一点に絞りマスコミを使い無理やり
ストーリーを作りその方向へ持って行き逮捕、検察では更にあたかも
事件であるかの如く肉付けをしていく現実を見ました。
そこに被疑者の思いなどはまったく聞こうという姿勢など微塵も
ありません。真実を伝えても否認と取られ保釈もありません。
仕事のこと、家庭の事情など自分を取り巻く状況から罪を認める
ことを条件に保釈を受けましたが、この国の司法は狂っているのではないかと
思っています。「虚構の法治国家」それが現実です。
どうすればもっと国民の目を司法の現実に目を向けさせることが
できるのか?八田さんのブログを多くの国民が見てくれると良いですね!

#- | URL | 2015/02/08 Sun. 03:08 * edit *

国民の安全安心はない!

日本は法治国家では無いようです。
実態は以下のとおり酷い。
 虚偽事由で提訴(訴訟詐欺)することは正当な弁護士業務だと主張する黛千恵子(坪田)・坪田康男・八木宏らは、詐欺罪で告発受理されていたようですが福井弁護士会は、反省も謝罪もせずに知らぬ振りして何らかの処置もしていないようです。
 それどころか、福井弁護士会は、「虚偽事由で提訴することは正当な弁護士業務だ」と議決して擁護(教唆・幇助)し続けているらしいです。
 被害者は、更なる侮辱や訴訟詐欺にあう事を恐れ恐怖の日々を過ごしているみたいです。
 権力を有した組織的な犯罪が放置される中で正義など通用するはずもなく、おそらくは一人ひとりと食い物にされることになるのでしょう。
日本には、国民の安全安心は保障されていないようです。

#- | URL | 2016/01/30 Sat. 14:33 * edit *

「裁判では虚偽は到底許される」!

裁判官樋口英明らは、 「虚偽事由で提訴すること(訴訟詐欺)は正当だ」などと主張し実践する福井弁護士会らを相手の訴訟に対して、 「裁判では虚偽は到底許される」 などと被害者に判決言い渡したらしいです。
司法に正義などありません。

#- | URL | 2016/04/16 Sat. 11:01 * edit *

二枚舌を使う者

>原発訴訟団の弁護士島田宏は、「国民の常識が司法に生かされ国民の安全と基本的人権が守られる時代の到来を期待しています」と述べた。 とありますが、そんな発言を本当にしているんですか?
弁護士の島田宏は、「虚偽事由で提訴したり侮辱したりすることは正当な弁護士業務」 と福井弁護士会長のときから胸を張って主張している人物です。
どうして平然とこの様なことを言えるのでしょうか。
しかも、あろうことか 消費者庁消費者教育員の職におり詐欺撲滅をうたい文句にしてるとか。
詐欺の件、疑うのであれば以下の件、本人に確認下さい。

弁護士は虚偽事由で提訴する!
実態は以下のとおり酷い。
 虚偽事由で提訴(訴訟詐欺)することは正当な弁護士業務だと主張する黛千恵子(坪田)・坪田康男・八木宏らは、詐欺罪で告発受理(2014~2015)されていたようですが福井弁護士会は、反省も謝罪もせずに知らぬ振りして何らかの処置もしていないようです。
 それどころか、福井弁護士会は、「虚偽事由で提訴することは正当な弁護士業務だ」と議決して擁護(教唆・幇助)し続けているらしいです。
 被害者は、更なる侮辱や訴訟詐欺にあう事を恐れ恐怖の日々を過ごしているみたいです。
 権力を有した組織的な犯罪が放置される中で正義など通用するはずもなく、おそらくは一人ひとりと食い物にされることになるのでしょう。
人権擁護や正義などは眼中に無いようです。

#- | URL | 2016/05/11 Wed. 10:27 * edit *

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