「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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#検察なう (451) 「森炎氏著『教養としての冤罪論』解題 (8) ~冤罪ライン⑦ 「第三者の証言の虚実をどう見抜くか」」 2/19/2015 

#検察なう (451) 「森炎氏著『教養としての冤罪論』解題 (8) ~冤罪ライン⑦ 「第三者の証言の虚実をどう見抜くか」」 2/19/2015

目撃証言は有力な証拠であることは間違いないと思います。しかし、見間違いということも、当然可能性としてはあり、目撃証言が有罪立証の柱であれば、その冤罪性をどう評価するかは重要です。冤罪ラインの議論の最終章として、第三者の証言に含まれる冤罪性を議論しています。

「純然たる目撃者(虚偽を述べる動機のない者)の証言は、ありのままを述べているわけだから、もちろん、信用できる。他方、信用できるとしても、見間違いということは、これも、もちろん、あり得る。

しかし、見間違いは、それほどはないだろうと、これまでは考えられてきた。ところが、近年になって、それを覆す事実が判明した。」

「DNA鑑定の発展に伴って、前世紀末頃から、アメリカでは、「無辜再発見」のイノセンス・プロジェクトが大々的におこなわれた。DNA鑑定がない時代に有罪判決を受けて拘禁されている死刑囚などに対して、あらためてDNA鑑定による再検証が実施されたのである。その結果、DNA型が合ってないという例が続出した(釈放例は現在までに300を超える)。」

「調査で明らかになった「無辜再発見」事例の79%に目撃証言が存在していたという報告結果が出た。」

その79%のケースで、目撃証言がどれほど有罪立証に決定的な影響があったかはうかがい知れず、他方数多くの正しい目撃証言もあるはずで、79%というのは目撃証言の「はずれ率」ではありませんが、それでも実に驚くべき数字です。

森氏は、目撃証言の確度を測る基準として、2つの条件を述べます。その一つが「汚染された証人かどうか」、もう一つが「既知証人であるかどうか」です。

前回のこのシリーズのブログでは、共犯供述の問題について述べました。

ここをクリック→ 冤罪ライン⑥ 「犯人の知人・友人が共犯者とされるとき」

共犯供述の「問題は、一言で言えば、共犯者が、いわば汚染された証人だからである。共犯者には、一般的に、いま述べたような不純動機の疑いがあり、証人資格(その地位、立場、性質)の点で汚染されていると言える。

そして、これは何も、共犯者の場合に限らない。

たとえば、同房者の証言は、その疑わしさの点では、共犯供述に近い。同房者の証言とは、被疑者同士として同室になった者が、本人から犯行をほのめかされたとか、それに類することを聞いたなどという、かなり胡散臭い事柄である。そのほとんどは、動静を探る警察スパイ活動としておこなわれる。このようなことを法廷で証言した同房者には、多くの場合、起訴が見合わせられたり、起訴されても軽い刑が求刑されたりなどの特典が与えられる。」

「いちがいに、証言内容の真偽をどうこう言うことはできない。それこそ、人により、時と場合により、事件により様々である。しかし、証人の資格(地位、立場、性質)は別である。つまり、証言内容の真偽はわからないとしても、証人の資格から冤罪の危険を推定することはできる。そこから、理念型としての冤罪性をとらえることが可能である。」

もう一つの重要な要素が、目撃証人と被告人が既知かどうかです。

「目撃対象が既知の人物かどうかは、目撃の正確性に大きくかかわる。普段からよくよく知っている人間を犯行現場で見たという場合、見間違いはほとんど考えられないだろう。また、多少面識があるにすぎない程度でも、初見と比べれば見間違いは少ないはずである。」

「イノセンス・プロジェクトであからさまになった意外な結果は、目撃証言には、既知証人でないことから来る限界があったこと、そして、それが予想をはるかに超えて大きかったことを暗示している。

証言一般に関する冤罪性を「①汚染なき証人―②汚染された証人」、「(a)既知証人―(b)未知証人」という道具連関で考えるとき、たとえば、レイプ事件の被害者の(多く)は、①(b)であり、そこには、未知性(初見)の問題がある。

共犯供述は、②(a)であり、汚染(不純動機)の問題がある。

結局、証人が①(a)(「汚染なき既知証人」)でなければ、有力証人とは言えないとみるべきなのだろう。」

そして、「実験心理学の知見」と題されて述べられる、以下の事柄は、裁判員裁判制度の下で、人を裁く可能性のある我々は、広く共有すべき知識だと思います。

「被害者(あるいは被害者家族)に限らず、重大事件の目撃者は、目撃している間、驚愕・恐怖・嫌悪・憎悪等の大きな心理的動揺を免れない。実験心理学の知見によれば、強度のストレスのもとでは記銘力や記憶の保持が低下することが認められている。

また、鈍器や刃物が凶器として用いられた場合、それらに目を奪われてしまうことで、人物に対する記銘力がぼやけてしまう「凶器注目効果」も言われている。さらに、別の場所や写真で見ただけの人物を実際に犯行現場で見たと思い込んでしまう「無意識的転移」現象もあるという。

これらのメカニズムは、過去の確固たる記憶と照らし合わせる既知証人では生じにくい。が、通常の目撃者にとっては「記銘―保存―想起」の過程において、多かれ少なかれ、かかる障害を免れない。

したがって、初見の目撃者にあっては、特別な事情がない限り、その目撃情報に有罪方向への大きな牽引力を認めることは躊躇される。特別な事情とは、犯人の容貌が特異であるとか、顕著な身体的特徴があるとか、あるいは、例外的に冷静な状況下で犯人と接していた(たまたま、犯行を目の当たりにする前に日常的状態において接する時間帯があった)などの事柄である。

目撃証言の評価が問題となるのは、多くは、科学的証拠や客観的証拠など、他に有力な証拠がない場面である。

つまりは、目撃証言だけでは、理念型としての冤罪性は減少しない。冤罪性減少を認めることができるのは、「汚染なき既知証人」や、いま述べた特別事情がある場合に限られるとみるべきだろう。

共犯供述にあっては、共謀者間の人的関係、組織内における地位、組織・集団自体の特性などから、証人の「汚染」が払拭される場合に限られることになる。」

教養としての冤罪論

P.S.
3月7日、愛知県弁護士会の主催で、「『新時代の刑事司法』は?」と題して元特捜検事前田恒彦氏と名古屋でパネルディスカッションをします。お近くの方は是非お越し下さい。

ここをクリック→ 愛知県弁護士会「取調べの可視化市民集会」

2/19/2015












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category: 冤罪事件に関して

2015/02/19 Thu. 01:53 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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