「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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#検察なう (459) 「検察に引き返す勇気はないのか~検察、美濃加茂市長事件で藤井市長無罪判決を控訴」 3/19/2015  

#検察なう (459) 「検察に引き返す勇気はないのか~検察、美濃加茂市長事件で藤井市長無罪判決を控訴」 3/19/2015

美濃加茂市長事件において、検察は一審無罪判決を不服として、本日19日が期限の控訴をすると報じられています。

この報道を目にした時、私は激しく動揺してしまいました。それは自分が検察官控訴された時のことがフラッシュバックしたからです。

私の一審無罪判決はおととし3月1日でした。控訴の期限は2週間後の3月15日。控訴の判断は期限一杯と思っていた私の携帯が鳴ったのは3月12日のことでした。その電話は大手メディアの記者からでした(私は積極的に情報開示に努め、取材をしてくれた記者には私の個人用の携帯番号を渡し、常に取材に応じる旨伝えていました)。

「八田さん、検察は控訴を決めました。今のお気持ちをお聞かせ願えますか」

3月1日の無罪判決以降、支援の気運は盛り上がり、検察控訴を阻止すべく陳情書が寄せられました。それは1週間で249通に達していました(注)。その矢先であったため、私は地に叩きのめされたように感じました。

しかし一晩寝た後はファイティングスピリットに再点火、冷静に状況を判断できたものです。検察官控訴が報じられた翌日に書いたブログをお読み頂ければ、今回の美濃加茂市長事件での検察官控訴と共通項を見出すことができると思います。

ここをクリック→ #検察なう (277) 「検察控訴の背景を探る」

一般人の感覚からすると「ありえない」と感じる控訴が、検察内部の者あるいは検察の事情に通じた者からすると当然至極であろうことに私は危惧を覚えます。

この「控訴は避け得ない」という彼らの感覚は、検察が一方当事者であることによります。つまり、無罪判決は「負け」という感覚です。我々一般人の感覚からすると、検察は公益の代表者であり、悪を許さない正義の擁護者です。そして過ちを正す者のあるべき姿勢として、自らが過ちを犯した場合には、潔くそれを認める真摯な態度が求められます。その一般人の感覚と現実(=検察の感覚)とに乖離があるということをこの検察官控訴は物語っています。

今回の暴挙とも言うべき検察官控訴によって、絶対に自らの過ちを認めようとせず、それが結果、国民の信頼を失うことになることを検察が理解していないかのようであることを国民の一人として憂うものです。それは、あたかもレミングが川に集団自殺するのを見るようです。自分たちの判断の誤りを裁判所に責任転嫁し、「自分たちは間違っていない。裁判所が間違っている」という情けない言い訳に、国民が騙されると思っているのでしょうか。そうした目先だけの問題回避を図ることは、長期的には検察に対する信頼を大きく損なうものです。

捜査権力、司法権力の権威はつまるところ国民の信頼に裏打ちされてこそのものです。そして彼らの権威が損なわれて、結局損をするのは我々国民です。

最後に私は、冤罪回避の刑事司法改革の最も有効な手段が、検察上訴権の廃止であると考え、そもそも検察上訴は憲法違反ないし過去の判例の不当な拡大解釈であると考えていることを述べたいと思います。詳しくは以下添付の過去のブログをご参照頂ければ幸いです。

ここをクリック→ #検察なう (87) 「司法改革 (2) 『二重の危険』」

刑事被告人の汚名を着せ続けられる藤井氏の悔しさは、痛いほどよく分かります。彼には是非それをはねのけてほしいと思います。美濃加茂市長事件の検察官控訴のテクニカルな面に関しては、主任弁護人郷原信郎氏の以下のブログを参照下さい。

ここをクリック→ 『郷原信郎が斬る』「「美濃加茂市長事件無罪判決に検察控訴の方針」は、「妄想」か「狂気」か」

(注)
陳情書のハイライトを紹介します。これが私の支援者の声でした。藤井氏の支援者の方々も今、同じような気持ちであることと思います。

ここをクリック→ #検察なう (271) 「陳情書一例」

ここをクリック→ #検察なう (272) 「陳情書途中経過ハイライト」

ここをクリック→ #検察なう (275) 「陳情書ハイライトPart2」

ここをクリック→ #検察なう (276) 「陳情書ありがとうございました+ハイライトPart3」

3/19/2015








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category: 美濃加茂市長事件

2015/03/19 Thu. 00:01 [edit]   TB: 0 | CM: 2

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この記事に対するコメント

そろそろ本格的に検察の控訴権廃止について政治の側でも議論がスタートして欲しいものです。八田さんが常々ご指摘されてる通り、地裁・高裁・最高裁での三審裁判を連続した一つの裁判として合憲とする過去の最高裁の判断はどう考えても過度な人権侵害だし詭弁だと思います。

また、最高裁まで付き合わされて結局無罪だったとしても、裁判で失う時間を考えると憲法37条1項に定められている迅速に裁判を受ける権利にも抵触しています。

検察がこうも控訴に固執するのは単に控訴ができるだけ以上に、組織のメンツや実際に高裁それ自体が検察にとって有利な土俵だという認識があるのだと感じます。実際、弁護士からの証拠採用の請求はどんどん棄却するのに、検察官から同様の請求があると積極的に採用する裁判官が高裁に多い事からも伺えます。

確率論で言えば、地裁以上に検察に親身な裁判官を高裁において引き当てる率が高いという計算も働いているのでしょう。日本の裁判の実情からすると、裁判官次第でかなりがらりと状況が変わりますからね。

公平な刑事裁判というには、日本の制度は著しくバランスを欠いており被告側にとってはたとえ明らかな冤罪だとしても相当な苦労と負担を強いられます。後の再審で無罪になったとしても失った社会的信用と地位の現状回復はほとんど期待できない。

今の日本の刑事裁判制度はそれ全体が一つの人権侵害装置として非難されるべき位のレベルではないでしょうか。検察官控訴もそうですが、問題が数多く有り過ぎて目に余り過ぎます。

Tri #6Aros7K. | URL | 2015/03/21 Sat. 21:11 * edit *

国民の裁判に対する認識も薄いのでしょうね!刑事裁判を経験しないと現状の
日本における裁判を理解して欲しいと願っても難しいのではないかと思います。
所詮は他人ごとで自分には縁無き物としか思っておられ無いのでしょうね…
私は経験をして初めて裁判の現実を知ることになったのですが、言えることは
誰でもが被告人として裁判と向き合わなければならない現実がすぐそこにあると
言うことです。美濃加茂市長の藤井氏も現在闘っておられますが、控訴され
高裁で無罪となったとしても警察・検察を信頼することは死んでも無いと
思います。取り調べの段階から根本的に直さなければ冤罪は無くならないだう…
と思っています。私はまず、すべての刑事事件で可視化が最優先ではなかろうかと思っているのですが、もし可視化されていれば美濃加茂市長の藤井氏も
起訴されることも無く、裁判まで行かなかったのではないかと思っています。
取り調べに関する問題点そして裁判官の姿勢なども含めこの国の司法は
まった無しの状況にあると思うのですが…
国民の目を司法に向けさせる何か良い方法は無いのか?
多くの国民に八田さんのブログを見ていただきたいと願っています。

#- | URL | 2015/03/22 Sun. 01:59 * edit *

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