「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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#検察なう (465) 「森炎氏著『教養としての冤罪論』解題 (9) あとがきより」 4/23/2015 

#検察なう (465) 「森炎氏著『教養としての冤罪論』解題 (9) あとがきより」 4/23/2015

森炎氏の著書『教養としての冤罪論』をこれまで読み解いてきましたが、その最終回として、あとがきより以下の文章を引用したいと思います。

「本書は、新時代(「裁判員時代」)の市民裁判論を論じたものである。市民はいかにして重大刑事事件の裁判をやり通せるか、それを示すのが目的である。

裁判が終わった後のこと、結果が出された後のことについて論及するものではない。自ずから結果の是正論は別論として残る。結果としての冤罪は絶対的不正義であり、それは、どれだけ労力がかかろうとも、またどれだけ時間がかかろうとも是正されなければならない。たとえ何十年かかろうとも、やらなければならないことである。

だから、本書は、そのような意味の結果の是正論を軽視するものでは決してない。それどころか、本書の市民裁判論は、結果の是正論と対になるものである。両者が有効に機能しなければ、新しい司法は開けないだろう。

本書の中で、DNA鑑定や一般法医学鑑定、あるいはその他の科学的鑑定について、その高度の専門性のゆえに、裁判員はそれらを前提とせざるを得ないと述べた。が、これは専門的な科学的鑑定には誤りがないはずだとか、誤りがあってもやむを得ないなどということではない。現代社会が高度に専門化した分業化を受け入れざるを得ないとしても、誤りは当然是正されなければならない。しかし、それを市民裁判論の中でおこなおうとするのは無理である。それは結果の是正論としておこなうほかない。

言い換えれば、本書の市民裁判論は、結果の是正論を後ろに持つ。時系列において、その後には結果の是正論が控えていなければならない。それが、本書が描く、新しい司法の全体像である。」

「本書では、裁判の営為に対して、認識論を中心に、権力論、正義論を正しく配分することを試みた。権力論や正義論の固有の範囲が確定されないと、根本の認識論を妨げるおそれがあると考えたからである。

同じ裁判上の重要問題でも、死刑判断などは、認識論ではなく正義論の領域である。が、本書でテーマとした有罪・無罪の判断は、犯罪事実の有無の認識であり、本領は認識論である。だから、権力論や正義論は、それに必要な限度で、あるいは認識論の営為が限界に至ったところで、はじめて登場すべきものである。

以上の観点から、本書では、過剰な捜査批判などは無用であり、かえって有害でさえあるとした。

しかし、最後に、権力論として、どうしても強調せざるを得ないことがある。それは職業裁判官に対する権力批判である。」

「そもそも、冤罪で批判されるべきは職業裁判官である。冤罪を生み出した最終的な責任は、捜査機関ではなく職業裁判官にある。正しい認識論のためには、捜査批判は一定限度に制限されなければならないが、職業裁判官に対する権力批判は緩められてはならない。

捜査機関は、国家の治安確保上、犯罪捜査において真犯人を追いつめ、自白させる圧力を持たなければならないから、その権力性は無用の長物とは言えない。しかし、職業裁判官の権力性こそは無用の障害である。職業裁判官に対しては、無制限の徹底的な批判がおこなわれなければならない。そうすることで、裁判の認識論はそれだけ、本来あるべき認識に近づく。

だから、もし、そこが緩められるなら、今度は市民が冤罪を生み出した責任を「共犯者」として負わなければならないだろう。それが裁判制度であり、市民の司法参加の在り方なのである。」

「裁判員制度によって、これまでの刑事司法の終末が告げられ、新たな時代の裁判の幕が切って落とされたわけであるが、本書は、その来たるべき世界の眺望を一挙に見はるかし、市民に認識論的な啓示の到来をいざなう。言ってみれば、時代の波の高まる海鳴りと社会制度改革の遠雷が聞こえる中で、市民裁判の黙示録たることを期したものである。」

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4/23/2015















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category: 刑事事件一般

2015/04/23 Thu. 00:01 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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