「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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「死刑制度について考える (13) ~ 「憂鬱な儀式」 青木理氏著『絞首刑』より (1)」  

「死刑制度について考える (13) ~ 「憂鬱な儀式」 青木理氏著『絞首刑』より (1)」

私たちは死刑制度について感情に任せて語りたがる割に、その実態を知らなすぎるようです。それは、日本の死刑が、世界でも類を見ないほど徹底した密行主義の壁に覆われ、刑場でどのような光景が繰り広げられるのか、公の職務として執行に携わっている人々がどのような想いを抱えながらそれに関わっているのか、そうした事柄自体が闇の奥に隠されていて見えないからです。

死刑囚を悪の「記号」として捉えるのではなく、あくまで生身の人間であり、死刑執行とはその命を奪うことであると理解して、初めてその是非の議論の端緒につけると感じています。

青木理氏著の『絞首刑』は、浅薄な存置・廃止論に与することなく、当事者に肉薄したルポルタージュです。この書が、裁判員制度施行の今日、多くの人に読まれるべきであることは、彼の当事者意識を共有すれば当然のことにように思えます。

そのプロローグは、「憂鬱な儀式」と題され、死刑執行の実態を生々しく私たちの前に「再現」しています。

あとがきから引用します。

「(死刑執行に関わる人々の)心象風景を、私は、可能な限りリアルに再現し、生々しい形で読者に提示してみたかった。そして何よりも、死刑執行に携わった人々の苦悩や逡巡を「他人事」ではなく、私たち自身の事柄として捉え返してみたかった。だから証言を羅列して構成するのではなく、私の中でいったん咀嚼し、一人称の視座で紡いでみたいと考えた。

極論を言えば、私自身が死刑囚の首に絞縄をかけ、執行ボタンを押し、宙吊りの遺体を処理する視座に立ってみたかった。でなければ、死刑問題の本質は決して見えてこないと思った。執行ボタンを押しているのは若き刑務官だが、その指を動かしているのは私たち一人ひとりの暗黙の意思なのだから。」

「死刑制度について考える」のシリーズでは、今回より3回に亘ってこのプロローグの全文を紹介します。「日本の司法を正す会」で三度お会いする機会のあった青木氏には、手紙でその旨を通知しています。

絞首刑

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「憂鬱な儀式」

ある元刑務官は、拘置所内にある地下室のような部屋に足を踏み入れた瞬間に感じたゾッとするほどの薄気味悪さを、いまも忘れることができない。刑務官になって数年目、まだ駆け出しの若手だったころの記憶である。

その部屋は、特別な日を除けば一般の刑務官が近寄ることは決して許されていなかった。おそるおそる足を踏み入れてみると、内部の空気が湿っていたわけではないし、もちろん不衛生なわけでは決してなかった。むしろ、隅々まで徹底して掃除が行き届き、ゴミなど一片たりとも落ちていなかった。

しかし、薄気味悪い冷気が足下から這い上がってきて身体が硬直した。あの雰囲気を、どう評すればいいのだろうか。

妖気。あるいは霊気・・・・。

つまらぬ迷信や霊感などといった類のものを信じているわけではない。けれど、そんなふうに形容するしかない冷え冷えとした空気。敢えて譬えるなら、病院の霊安室にも似たような空気。

広さは十数畳くらいだろうか。床は一面が剝き出しのコンクリート敷きだった。中央部には、鉄製の網で覆われた排水溝があった。垂れ流された汚物や体液を洗い流すための排水溝。そこで行われる「作業」に必要なもの以外には何もない空間。

床から天井までの高さは約4メートル。コンクリートの床に立ち、天井を見上げてみる。間もなくやって来るだろう「その時」、あの天井の真ん中が轟音とともにきっちりと四角く割れ、首にロープをかけられた身体が真っすぐに落下してくる。瞬間、首の骨は砕け、意識を失って絶命する。直ちに衣服が脱がされ、その場で検視が行われ、遺体は棺に納められる。徹底して秘密裏に、そして確実に営まれる、刑の執行。

部屋の片隅には、大きな箱が置かれていた。いったい何が入っているんだろう。そう思ってこっそり開けてみると、中には太いロープが納められていた。刑の執行に使われるロープだった。丸い輪になった部分には皮革が巻かれ、そこだけが妙に黒ずんでいたのは、死刑囚たちの末期の体液を吸ったためだったのだろうか。

再びゾクッとするような寒気が足元から這い上がってきた。あの部屋にはもう二度と足を踏み入れたくない。

無機質な鉄製の扉が開き、屈強な刑務官に両脇を抱えられた死刑囚の男が、ゆっくりと目の前に連行されてきた。

顔面は蒼白だった。辛うじて自力で歩を進めているが、顔も足も手も、身体中のすべての部位が小刻みにブルブルブルと震えていた。その男と目の前に相対した僧侶は、胸の奥底から深い自問の念が湧き上がってくるのを抑えることができなかった。

宗教家である私が、ここで男に何をしてやればよいのだろうか。いったい何を、してやれるというのだろうか・・・・。

薄いベージュ色のカーペットが敷き詰められた拘置所内の一室。四方の壁は木目調のパネルに覆われていたが、僧侶から見て左側の壁だけは、一角が大きなアコーディオン・カーテンになっていた。背後の壁には、簡素な仏像が飾られた祭壇もしつらえられている。連行されてくる死刑囚がキリスト教に帰依しているのなら、それに合わせて簡単に置き換えられる仕組みになっているのだと、僧侶は拘置所幹部から聞かされたことがあった。

僧侶の脇では、拘置所の所長や幹部、刑務官らも並んで立って男を迎えていた。こちらを向いてブルブルと震える男の目は、緊張と恐怖で怯え切っている。だが、脇に立つ拘置所長も、拘置所の幹部も、刑務官も、全員が極度に緊張しているのが僧侶には手に取るように感じられた。死刑囚に最後の儀式を施す空間では、それも無理のないことのように思えた。僧侶自身にしても、ひどく緊張していたのだから。

教誨師―。そう呼ばれる仕事を僧侶が引き受けたのは、もう何年も前のことになる。長く世話になっていた先輩僧侶が老齢となり、「私の後任を務めてくれないだろうか」と頼み込まれたのがきっかけだった。

判決の確定した死刑囚が収容されているのは、北は札幌から南は福岡まで全国7ヵ所の都市に置かれた拘置所である。拘置所といえば本来、未決の刑事被告人を暫定的に収容する刑事施設であり、裁判で有期刑が確定すれば各地の刑務所等に移監される。だが、死刑囚にとっては死刑こそが刑の執行にほかならない。だから刑務所ではなく、拘置所で「その時」を待つ。そして刑場も、拘置所内の一角に付設されている。

死刑囚たちは、本人が希望すれば定期的に「宗教教誨」を受けることができる。拘置所側は「心情の安定に寄与する」として死刑囚にこれを勧め、あらかじめ登録された篤志家の僧侶や牧師、神父たちがそれを引き受けている。あくまでもボランティアであり、報酬は交通費程度しか与えられないのだが、僧侶に後任を務めるよう求めてきた老僧も長年その役目を担ってきていた。

「しかし、死刑囚の教誨を担当するとなれば、死刑の執行にも立ち会わねばならないのではないですか?」

そう言っていったんは固辞したが、最終的には引き受けざるを得なかった。

「たしかにそうだが、死刑執行への立ち会いなんて、そう滅多にあるものじゃないよ。私も長いこと死刑囚の教誨を担当してきたが、実際の立ち会いは一度もなかったから。それに、こんなことを頼めるのは君ぐらいしかいないんだ。何とか引き受けてくれないかね」

いろいろと世話になってきた老僧の頭を下げて頼まれたら、断りきれない。そうして始まった拘置所通いだった。

僧侶や拘置所長の前で激しく身体を震わせている男とは、刑の確定から数年間、月に一度ほどのペースで教誨の時間を持ち続けてきた。といっても、与えられる時間は、毎回30分程度しかない。最初のころは経を唱え、男に宗教的な教えを語りかけようとしていたが、いつのころからか、僧侶が男の話に耳を傾ける時間のほうが圧倒的に多くなっていった。

確定死刑囚は、親族や弁護士を除けば、事前に許可された数人以外との面会が厳しく制限されている。その親族すら絶縁状態になることがしばしばであり、徹底して孤独な独房で死と向き合う死刑囚にとって、教誨師は外部世界の匂いをまとった数少ない話し相手となる。

だから僧侶は、それも自分の役目だと考え、男の話に相づちを打ち、聞き役に徹するよう心がけた。死に直面しながら日々を送る男に、わずかな時間でも人間らしい会話を、少しでも気晴らしになる会話を、させてやりたいと思ったのである。

そんな男との会話の内容は、実にさまざまだった。犯してしまった罪への悔悟。最近起きた事件や社会事象への感想。いま読んでいる本の話。たわいもない流行歌の話題。その他その他の四方山話・・・・。

男は特に、自らが引き起こしてしまった事件への激しい悔悟と被害者への謝罪の言葉を、いくどもいくども口にした。殺人と現住建造物放火。それが男の犯した凶行だと認定されていた。

「なんであんなことをしてしまったんでしょうか。いくら悔いても悔いたりません」
「被害者の方には、死ぬ瞬間まで懺悔し続けるしかありません」
「でも・・・・」

そう言って男は、時おりこう訴えることがあった。
「でも放火なんてやってないんです」

表情は真剣そのものだった。
「火なんてつけていないんです。絶対に、つけてないんです。自分のやっちゃったことに動転して、あわてて逃げ出したんですが、後で『家が燃えた』って聞いて、オレ、ホントに驚いちゃって・・・・」

男の弁護団は、被害者宅に残されていたストーブが何らかの原因で転倒し、引火したのではないか、と訴えたのだが、公判では認められなかった。もちろん真実は分からないが、僧侶の目には男が嘘を言っているようには見えなかった。

死刑囚という存在と向き合いながら僧侶は、宗教家である自分がなぜこんなことをしているのかと常に悩み続けた。

男はどう考えても許されざる大罪を犯してしまっている。だが、過去の罪を必死で悔い、被害者への謝罪の言葉を繰り返している。そんな男に精神的な支えを施すのは、宗教家としての務めだろうと思った。罪の底で喘ぐ人間を少しでも慰め、救済することも、宗教の役目だろうと思ったからである。

ただ、僧侶は月に一度、それも約30分というわずかな時間、男の話し相手になってやることしかできない。しかも、男はいずれ強制的な死を迎える。そんな男をつかのま慰め、罪に喘ぐ心を救済してやろうと振る舞うことにどのような意味があるのか。表面的な優しい言葉をかけ、ほんの一時だけ人間的な時間をつくってやろうとすることが、果たして宗教家としての仕事なのだろうか。もっといえば、官憲の手先となって罪人の心を慰撫しているに過ぎないのではないか。

それでも男は、苦悩する僧侶に信頼を寄せてくれているようだった。
「先生、オレの最期の時は、先生が絶対に見送ってくださいね。お願いしますよ」

ちょっとおどけた様子で、しかし真剣な眼でそう言われた時は、思わず「分かった」と答えたものの、内心ではひどく狼狽した。それでも、いつのころからか僧侶は、最期まで男と真摯に向き合ってやろうと心に決めた。

当たり前の話とはいえ、男と語らう時間を重ねるにつれ、僧侶の心の中には男に対する「情」のようなものも徐々に積み重なっていった。確かに犯行は凶悪だが、根っからの悪人とはどうしても思えない。「放火はやってない」という男の訴えを裏付ける証拠を探してやることはできないだろうか、などと考えたこともあった。

しかし、一介の僧侶にはあまりにも荷が重すぎる話である。だいたい、どこをどう調べれば男の言っていることが真実だ、などと証明することができるのか。

そうこうしているうちに時は流れ、拘置所からの連絡は突然、やってきた。

僧侶が拘置所の幹部から、男への刑の執行と立ち会いを求める連絡を受けたのは、執行前日のことだった。すでに複数の教誨を担当するようになっていたから、いつか「その時」がやってくる可能性があることは覚悟していた。だが、実際に拘置所からの連絡を受けた際は激しく動揺した。受話器を握る手が震え、喉の奥に胃液がせり上がり、舌が膨らんで気管を塞いでしまったような感覚に陥った。

僧侶の動揺に気づいたのか気づかなかったのか、拘置所の幹部はつとめて事務的な口調で話を続けた。

「明日の朝8時、お寺まで迎えの車を出させていただきます。ただ、執行の件は絶対に秘密です。事前も、事後も、誰にもおっしゃらないようにしてください。もちろん、ご家族にもおっしゃらないでください」

電話でそう告げる拘置所幹部に「無茶なことを言うものではありません」と強く反駁した。早朝に拘置所の車などが迎えに来れば、どう考えても家族が奇異に思う。それ以前に自分の心が耐えられない。

だから僧侶は、妻だけには「明日、死刑の執行に立ち会うことになった」と明かし、深夜、自室に一人籠ってペンを執った。死にゆく男に伝える最後の言葉を考えねばならない。

動揺する気持ちを抑えながら僧侶は、男に語りかける言葉を懸命に紡ぎ、時間をかけて原稿用紙に書き写した。ようやく書き終わると、時計の針は午前零時を回っていたが、何度も読み返して推敲し、暗唱した。だが結局、その言葉を男に伝えることは、できなかった。

(続く)

















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2015/05/11 Mon. 01:25 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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