「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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「死刑制度について考える (14) ~「憂鬱な儀式」 青木理氏著『絞首刑』より (2)」 

「死刑制度について考える (14) ~「憂鬱な儀式」 青木理氏著『絞首刑』より (2)」

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絞首刑

いま、僧侶の前では、法務大臣の発した死刑執行命令書を拘置所長が読み上げ、その紙を男の目の前に掲げて文面を確認させている。所長の形式張った動作と口調は、僧侶の目に「まるで重要な証文を突きつけるかのような儀式だな」と映った。しかし、間もなく自分が最後の説教を行わねばならない。夜遅くまで気持ちを込めて綴った最後の説教を、精一杯の別れの言葉を、男に語りかけるのである。

そう気持ちを固めた矢先、全身を小刻みに震わせた男は、僧侶の方に向かってよろよろ歩み寄ると、法衣にしがみついてきた。喉の奥から絞り出すような声を漏らしながら、そして嗚咽しながら。

「先生・・・・。せん、せぃぃ・・・・」

瞬間、僧侶が頭の中に諳んじていたはずの言葉など、跡形もなく消し飛んでしまった。男は間もなく強制的な死を迎える。縊り殺されるのである。僧侶の心に同じ自問が再び、だが今度は激しく湧き上がってきた。

この男にいま、何と語りかけたらいいのだろう。僧侶として、宗教を奉ずる者として、いったい何を説くことができるというのだろう・・・・。

もはや言葉など見つからなかった。法衣にしがみついて嗚咽する男の背を、ゆっくりとさすってやることしかできなかった。執行前に食べることを許される菓子や果物も用意されていたが、男は手をつけようともしなかった。

震える男の背をさすりながら、僧侶は心の中で詫びた。

最後にこうして触れ合う人間が、体の温もりを感じさせてやる人間が、私などになってすまないな・・・・。

僧侶の腕の中で、男は嗚咽し続けた。

「では、そろそろ」
数分ほど経ったろうか。いや、数十秒程度だったかもしれない。拘置所長が事務的な口調でそう告げると、執行にあたる刑務官が素早く作業に取りかかった。

一人の刑務官が細長い白布で男の顔に目隠しをし、別の刑務官が両手に手錠をかける。作業終了を確認すると、片側の壁に設置された巨大なアコーディオン・カーテンがほとんど音も立てずに中央から左右に割れた。その先に、刑場が広がっていた。

こちら側と同じベージュ色のカーペットを敷き詰めた空間。広さは十五畳ほどだろうか。意外に広いと僧侶は感じた。天井の中央には滑車が取り付けられ、先端が丸い輪になった真っ白いロープが真っすぐに垂れ下がっていた。

ロープの真下の床は、約1メートル四方だけカーペットが四角く切り取られ、周囲が赤色で縁どられていた。中央には小さな四角い目印も赤色で描かれている。男はそこに立たされ、最期の瞬間を迎える。しかし、すでに目隠しをされてしまった男は、その光景を目にすることができない。

刑場の壁はやはり無機質な木目調パネルで統一されていたが、正面だけは一面がガラス張りになっていた。透明なガラスの向こう側には、バルコニーか観客席のような監視台。こちら向きに並べて据えられた椅子には、しかつめらしい顔をしたスーツ姿の男たちが座っていた。刑事訴訟法の定めに従い、死刑執行に立ち会う検察官と検察事務官であろう。

すでに着席していた検察官らしき人物の隣の椅子に、先ほど男に執行を言い渡したばかりの拘置所長も遅れて着席した。これですべての準備は整った。

刑場では、目隠しをされた男が両脇を再び刑務官に抱えられ、数メートル先にある四角い縁取りに向けて歩かされていった。男の全身の震えがさらにひどくなったように見えた。

僧侶は意を決し、刑場の片隅で経を唱え始めた。男の背に向け、刑場中に響くほど大きな声で―。

男のために僧侶ができるのは、もはやそれだけだった。

刑場の隣には、もう一つの小さな部屋があった。わずか数畳ほどの薄暗い小部屋。制服と制帽に身を包んだ若き刑務官も、胃液が逆流してきそうなほどの緊張に耐えながら、小部屋の壁に向かって立っていた。

隣に並んでいる同僚の刑務官たちも、どうやら同じ心境のようだった。みな一様顔が極度にこわばり、緊張と静寂に支配された室内は咳払いの音一つ聞こえない。

刑務官たちの目の前の壁には、複数のボタンが横一列に並んでいた。5センチ四方の枠に囲まれた大型のボタン。古い拘置所の刑場なら5つ、新しい拘置所の刑場なら3つ。このボタンのうちどれか一つが、死刑囚の立たされる1メートル四方の床を開閉する油圧装置に連結されている。

バタンコ―。死刑執行装置のことを、先輩の刑務官たちはそう呼んでいた。1メートル四方の床が開く瞬間に発する激しい音に由来する言葉だという。その装置に誰のボタンがつながっているのかは分からない。だが、誰か一人のボタンは間違いなくつながっている。

ボタンから少し離れた位置の壁には、金庫のダイヤルのようなものが見えた。どのボタンを油圧装置に連結するかは、そのダイヤルによって決められる。事前にベテランの刑務官がセットしておくのだという。しかし、ボタンの前に立つ刑務官たちは、ダイヤルが導き出した結果を永久に知らされることはない。

ボタンの前で緊張に耐えながら直立していた若き刑務官は心の底からこう思った。
いったい誰が、こんな装置を考え出したのだろう―。

死刑の執行といっても、すべては命ぜられた職務に過ぎない。しかし、自らの手で一人の人間の命を絶ちたいと思う刑務官などいるはずがない。そんな心情を慰めようと考案された装置。人間の命を「殺めたかもしれない」と思ってしまっても、「殺めていないかもしれない」と思い直すことを可能にするシステム。しかし、「殺めてしまったのではないか」という気持ちが消えることなどない。

かつては、刑場の床から突き出た一本の手動式レバーが死刑囚の足元の床を開く唯一の装置だった、と先輩刑務官から聞かされたことがある。刑場の片隅には、今も同じようなレバーが備えられてはいる。だが、それはもはや、ボタンによって油圧装置が作動しなかった際に使う「緊急用の予備」に過ぎない。

若き刑務官は、拝命からまだ数年しか経っていない新米だった。もちろん拘置所に配属された以上、死刑の執行に関わらざるを得ない日々がくる可能性は、いつも頭の片隅にあった。しかし今朝、夜勤明けの疲れ切った状態で命令を告げられた際は、目の前が真っ暗になった。

いかに凶悪な罪を犯した死刑囚とはいえ、公判時から数えれば何年間も、場合によっては10年以上も、拘置所の刑務官達は死刑囚と顔を突き合わせ、日々の世話をする。「情」が湧いたからといって、何の不思議があろう。

「随分前の話だけどな、死刑の執行に携わった時、死刑囚が泣きながら『お世話になりました』って握手を求めてきたことがあってな。あん時は、こっちも涙が止まらなかったなぁ・・・・」
そんな話を先輩刑務官から聞かされたこともあった。

執行に関わる刑務官の選抜に際しては、拘置所長も「それなりの配慮」をしてくれる。幹部だけが持つ特殊な職員名簿を開き、当日が誕生日にあたる者や妻が出産を控えている者、あるいは近親者が重い病を患っていたり、親族の喪中である者などを除外し、最終的に10人ほどのメンバーを慎重に選ぶ。

冷静に考えてみれば、ほとんど迷信のような話である。しかし、それが死刑という刑罰の特殊性と異様性を浮き彫りにしているようにも思う。それでも、一般の刑務官と同様、命令に従うしかない拘置所長としても、部下たちに示してやることのできる最大限の「配慮」ではあるのだろう。

執行に携わるよう命じた直後、拘置所の幹部は、選抜された刑務官たちを集め、男の判決謄本をあらためて読み聞かせた。男の犯した罪の大きさを再認識させようとしたに違いない。確かにその犯行は陰惨で凶悪そのものだったが、いずれにしても指名された刑務官に「拒否」という選択肢などない。そして失敗は、絶対に許されない。

薄暗い小部屋で眼前のボタンを見つめていた若き刑務官は、男が引き起こした犯罪の凶悪さを心の中で反芻し、必死に気持ちを奮い立たせた。

ここからは刑場が見えない。室内の赤いランプが点灯し、刑場と小部屋をつなぐ戸口に立つ指揮官役の刑務員が合図をしたら、一斉にボタンを押す。胃液が逆流するような緊張が再び襲ってきた。すべての神経がボタンを押す指先に集中していく。いったい誰のボタンが男の足元の床につながっているのか。若き刑務官はもう一度、目の前のボタンをじっと見つめた。

まるで「能の舞台」でも眺めているみたいだな・・・・。
分厚いガラス越しに刑場全体を見渡すことのできる立ち合い席に座った時、その検事は奇妙なほどの“清浄”を感じさせる情景に軽い驚きを覚えた。

それに、意外なほど静かだった。防音工事でも施されているのだろうか、拘置所内はもちろん、刑場からの音もまったく聞こえてこない。どこからか低く流れてくる読経の音色は、恐らくテープか何かの音だろう。

拘置所長や検察事務官らと並んで椅子に座った検事にとっても、死刑の執行に立ち会うのは初めての経験だった。

刑事訴訟法には次のような定めがある。
<第477条 死刑は、検察官、検察事務官及び刑事施設の長又はその代理者の立会いの上、これを執行しなければならない>

法務大臣による死刑執行命令書は、当該死刑囚の刑が地方裁判所の段階で確定した場合はその地の地方検察庁(地検)に、高等裁判所か最高裁判所で確定したならば当該地の高等検察庁(高検)の長に向けて発せられ、最終的に死刑囚を収容する拘置所長に伝えられる。

立ち会い検事は当該の検察庁から選ばれるわけだが、死刑に関わるような重要事件の判決が地裁の一審段階で確定してしまうことはほとんどない。だから大抵の場合、高検に所属する検事が立ち会いの任に当たることになる。

この日の執行に立ち会うこととなった検事が高検幹部から執行予定を知らされたのは、前日のことだった。幹部は恐らく何日か前までには法務省から執行予定を伝えられていたはずだが、前日になって立ち会い検事をどうするか、幹部から相談されたのである。

執行への立ち会い検事をどのように決めるかは、各地の高検によってさまざまだという。着任順に若手検事を選ぶケースが多いようだが、この高検ではこれまで「あみだくじ」で決めてきたと、幹部からはそう教えられた。

死刑執行に立ち会う検事は、いわば執行の“見届け役”といえる。まして死刑は、人間の生命を奪い去る究極の刑罰である。事の持つ重大さと、「あみだくじ」の軽さ。随分いい加減な話だと思って呆れたが、誰もが嫌がるであろう役目を自分より若い検事にやらせることはない。

それに「死刑の執行というものを、この目で一度は見てみたい」という気持ちも、この検事には確かにあった。だから「明日執行があるんだが、今回の立ち会い検事はどうしようか?」と幹部から相談された時、「いや、私が行きますよ」と、とっさに答えてしまった。

その話を後輩の検事にすると、信じ難いというような顔をされた。しかし、検事という仕事柄、これまで陰惨な事件の現場や死体は何度も目にしてきている。それに、見たくないと思えば目をつぶってしまえばいいし、下を向いていたって構わない。そう思いながら朝、相方の検察事務官とともに公用車で拘置所にやってきた。

着席した立ち合い席からは、まさに刑場の全体を見渡すことができた。男が首にロープをかけられる場所も、これから男が落下していくであろう階下の部屋も、上下左右すべてが見渡せる。

いま、白い布で目隠しをされた男が「舞台の上」に現れた。屈強な刑務官に両脇を抱えられ、「舞台の中央」に向かって歩いている。間もなく首にロープをかけられ「舞台の下」へと落下していくはずだ。しかしどうだろう、このあまりに現実感のない情景は・・・・。

きれいなもんだな。

分厚いガラスの向こう側の「舞台」を眺めながら、検事の心中にはそんな感慨すら浮かんでいた。

(続く)










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2015/05/14 Thu. 00:01 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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