「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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「死刑制度について考える (16) ~ 青木理氏「死刑制度の圧倒的容認に思う「情」と「理」」」 

「死刑制度について考える (16) ~ 青木理氏「死刑制度の圧倒的容認に思う「情」と「理」」」

このシリーズで、青木理氏著の『絞首刑』から死刑執行の状況の実態を引用しました(注1)。

その青木理氏の近著『青木理の抵抗の視線』に収録されたコラムに『絞首刑』出版の経緯に触れたものがあったので引用します。

青木理 抵抗

「死刑制度の圧倒的容認に思う「情」と「理」」 (『週刊現代』2010年3月13日掲載)

内閣府が2010年2月6日付で発表した世論調査によれば、死刑制度の存置を容認する回答が過去最高の85.6%に達したという。設問方法が恣意的だとの批判は強いし、これまでも「死刑存置」の世論はおおよそ8割」といわれてはいたのだが、それを上回って「過去最高を更新した」と突きつけられれば、あらためて嘆息するしかない。対して死刑廃止を求める声はわずか5.7%だというから、その差異はあまりに圧倒的である。

私は2009年の夏、さまざまな形で死刑と関わらざるを得なくなった人々を追跡したルポルタージュ集『絞首刑』(講談社)を発表した。その取材の過程では、国家の名の下に人間の生命を奪う究極かつ絶対不可逆の刑罰を前にし、想像を絶する苦悩と逡巡に喘ぐ数多くの人々に会った。つまるところそれは、「情」と「理」という相反する思念の激しきぶつかり合いだった。

被害者感情や犯罪行為への憤怒という「情」に寄り添って死刑容認に流れてしまう気持ちも、まったくわからぬではない。今回の内閣府調査でも、死刑を容認する理由のトップは「被害者や家族の気持ちがおさまらない」(54.1%)であり、2番目が「凶悪犯罪は死をもって償うべき」(52.2%)だったという。しかし、徹底して「理」に依って立つならば、死刑制度など即刻廃止すべきものだ。

世界的に見れば、死刑廃止は圧倒的な潮流となっている。すでに国連加盟国の7割が死刑を廃止、あるいは執行の停止に踏み切っているし、欧州連合(EU)は死刑廃止をEU加盟のための条件としている。死刑について「刑罰ではなく、復讐にすぎない」と断じた上で「暴力の連鎖を暴力で断ち切ることはできない」と唱えるEUの理念を読めば、人類社会が目指すべき崇高な理想の一つがそこにある、と心底から思う。

現在、いわゆる先進国で死刑制度を維持しているのは日本と米国のみであり、その米国でも全州の三分の一に近い15州が死刑を廃止し、判決や執行は減少している。日本の周辺では、韓国と台湾が執行を停止しており、明確な存置国は人権面で大きな問題を抱える一党独裁体制の中国と北朝鮮だけだ。

ひるがえって日本では、ここ数年、死刑判決も執行数も急増傾向を示してきた。殺人などの凶悪犯罪がまったく増えていない現実を踏まえれば、国際的にも極めて異常な厳罰化ムードが急拡散してきたといえるだろう。

その上に示された85.6%という数値。だが、これほどに「情」が「理」を圧倒してしまっている現況を前にすると、「ちょっと待ってくれ」と叫びたくなる。

前記した『絞首刑』の取材で私が会った死刑囚や死刑被告人の多くは、自らが犯してしまった罪の重さに押しつぶされそうになりながら、贖罪の方途を懸命に模索していた。被害者遺族にしても、やはり「情」と「理」の狭間で激しく逡巡していた。執行に直接関わった刑務官や教誨師は、一生癒せぬ心の傷に懊悩していた。

にもかかわらず、当事者でもない私たちが「理」を完全に投げ捨てて「情」にのみ寄り添ってしまうのは、あまりにも表層的で、あまりに安逸な偽善に過ぎないように思う。

この2月23日から鳥取地裁では、男女2人が殺害された強盗殺人事件の裁判が始まった。一般市民が参加する裁判員裁判で死刑適用の是非が問われる可能性のある初のケースとなり、今後も同様の裁判員裁判は数多く予定される(注2)。

裁判員裁判をめぐっては、人間の生命を奪う刑罰の宣告に一般市民を直接参加させることへの懐疑もあるほか、急増する死刑判決に歯止めをかけるのか、あるいは逆にそれを加速化させてしまうのか、といった議論もあった。しかし、内閣府調査を見ると絶望的な気分になる。日本社会はこのまま「情」が「理」を呑み込み続け、世界の潮流に背を向けた皮相な厳罰化へとさらに突き進んでいくのだろうか。

(注1)
ここをクリック→ 「死刑制度について考える (13) ~ 「憂鬱な儀式」青木理氏著『絞首刑』より (1) 」

ここをクリック→ 「死刑制度について考える (14) ~ 「憂鬱な儀式」青木理氏著『絞首刑』より (2) 」

ここをクリック→ 「死刑制度について考える (15) ~ 「憂鬱な儀式」青木理氏著『絞首刑』より (3) 」

(注2)
本文に引用された事件で、影山博司被告の裁判員裁判の判決は無期懲役(その後、控訴審でも一審判決維持、上告棄却で確定しています)。しかし、現在まで、裁判員裁判が言い渡した死刑判決は20件を越えています。














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category: 死刑制度について考える

2015/05/28 Thu. 00:01 [edit]   TB: 0 | CM: 1

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この記事に対するコメント

冤罪から死刑執行となる可能性を排除できない以上、死刑は廃止すべきです。

今の司法制度での刑罰で受刑者に対する反省、贖罪を求めている訳ですが、そういう意味でも死刑にする事によってそれらの機会を奪う事にもなります。

それ以前に、戦争行為以外で国家としての死刑という殺人行為を社会正義として認めたくは無いし、一主権者として死刑制度を運用している政府に対して責任がある事実に不快感を覚えます。1/1.2億(日本の総人口数)としても嫌ですね。

社会から一生隔離するという意味で終身刑を新たに創設し、これまで無期懲役か死刑か迷うようなケースでも落とし込める様な刑罰を設けるべきだと思います。

Tri #6Aros7K. | URL | 2015/05/28 Thu. 19:37 * edit *

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