「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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#検察なう (76) 「O.J.シンプソンはなぜ無罪になったか」 12/21/2011 

#検察なう (76) 「O.J.シンプソンはなぜ無罪になったか」12/21/2011

ご報告があります。私の弁護団は、潮見坂綜合法律事務所の弁護士3人、小松正和弁護士、佐藤安紘弁護士、村松頼信弁護士ですが、この度東京西法律事務所の佐野綾子弁護士にも加わって頂くこととなりました。佐野弁護士とはツイッターを通して知り合ったのですが、お会いして話したところ、私たちが抱いている司法改革の気概に賛同して頂き、快く参加を承諾いただいたものです。佐野弁護士は元ゴールドマンサックス社のリサーチにいたこともあり、業界に精通していることも強みだと思っています。外資系証券のカルチャーは一種独特なところもありますので。私は自動的に5番目の弁護士に降格です。

先日読んだ本が思いのほか面白いものでした。弁護士四宮啓氏の書いた「O.J.シンプソンはなぜ無罪になったか」という本です。

O.J.シンプソンの事件は日本でも大々的に報道され、知っている方も多いと思いますが、多分多くの方が「O.J.シンプソンが無罪となったのは人種問題にすりかえた弁護側の戦略の勝利」という印象を持たれていると思います。私もそう思っていました。ところが、実際は必ずしもそうではないようです。この裁判は陪審員裁判ですが、陪審員の一人の言葉にそれは表れています。「私たちが何をしてきたかも知らずに人種の影響を云々にする人たちこそ人種差別主義者だ」。

この本によると、彼ら陪審員がシンプソンは無罪であるという結論に達したのは、単に「合理的な疑問が残った」ためだったと書かれています。

皆さんは、「推定無罪」という言葉をお聞きになったことがあると思います。「疑わしきは被告人の利益に」というやつです。この推定無罪の原則は日本やアメリカだけではなく、現在では国際的な基準ともなっています。

世界人権宣言十一条一項
「犯罪の訴追を受けた者は、すべて、自己の弁護に必要なすべての保証を与えられた公開の裁判において法律に従って有罪の立証があるまでは、無罪と推定される権利を有する。」

国際人権B規約十四条二項
「刑事上の罪に問われているすべてのものは、法律に基づいて有罪とされるまでは、無罪と推定される権利を有する。」

損害賠償などを扱う民事事件では、裁判を起こした原告と、起こされた被告とは原則として対等であり、裁判の天秤は釣り合った状態から始まります。しかし刑事事件では、裁判の天秤は完全に被告に傾いた状態から始まります。被告が勝っている状態から刑事裁判が始まる―これが推定無罪ということの実質的な意味です。検察はその、被告側に完全に傾いている天秤に、証拠という分銅を載せていき、この天秤を逆に完全に検察側に傾け直さなければならない―これが、検察が合理的な立証責任を100%負っているということの意味です。このようなシステムにすることによって、強大な権力をもつ検察となんの権力も持たない被告という当事者が、初めて実質的に裁判という場で対等になれるのです。

このように推定無罪と検察の合理的疑問を越えた立証責任を原則とすると、刑事裁判の結論は二つです。検察の立証に「合理的な疑問はない」か「合理的な疑問が残る」かです。前者が有罪、後者は無罪です。英語の「ギルティー(有罪)」と「ノット・ギルティー(有罪とはいえない)」という表現は、この点を正確に表しています。真っ黒でないと有罪とはできない、ということです。「どうなんだろう。そうじゃない可能性もあるかも」は全て無罪です。

それほど刑事事件においては、有罪のハードルは高いものです。実際、刑事裁判で無罪となったシンプソンも、民事裁判では約10億円もの損害賠償を遺族に払う結果となっています。

日本においても、検察が起訴をする際のハードルは「合理的な疑いが容れない程度に証明」される水準であるべきとされています。検察は、そのハードルを越えたものだけを起訴していると言うことでしょう。ところが、実際にはそのハードルの設定が恣意的で、場合によっては引き下げられるということがあると考えられます。そこでの彼らの言い分は「証拠があれば起訴するし、証拠がなければ起訴をしない」ということになります。聞こえはいいのですが、その意味するところは、無実であろうがテクニカルに起訴ができるものは自分たちの都合で起訴をすると言っているに過ぎないということです。

私は検察の取調べに際し、再三彼らに主張したのは、圧倒的な捜査能力を持って一番真実に近いところにいるはずの検察が、真実の見極めをしないで、起訴をすることだけを目標とする捜査を続けていたのでは日本の司法は崩壊するということでした。刑事事件の有罪率が99.9%の現状の日本の司法制度において、彼らが正しい判断をしなければ冤罪が生み出されてしまうのは火を見るより明らかです。

「おたくが起訴するっていうから、こっちは告発してんだ。それを今更、起訴しないなんてのはこっちのメンツがつぶれるんだ」という国税局に押し切られて起訴をした検察。そんな彼らに私が負けるわけにはいきません。日本の未来のためにも。

田中周紀氏の「国税記者 実録マルサの世界」今日発売です。今、アマゾンを見てみると、早くも品切れで、出だし好調のようです。

12/21/2011

category: 刑事司法改革への道

2011/12/21 Wed. 09:58 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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