「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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#検察なう (522) 「大崎事件の真相に迫る(1) ~大崎事件の概要」 12/14/2015 

#検察なう (522) 「大崎事件の真相に迫る(1) ~大崎事件の概要」 12/14/2015

先日、上京された大崎事件弁護団事務局長の鴨志田祐美弁護士(注1)とお会いする機会がありました。約2時間みっちりと事件についてお聞きすることができました。

大崎事件では、原口アヤ子さん(88歳)が請求人となって第3次再審請求が行われています。鴨志田氏のお話を聞き、有罪立証は首の皮一枚、そしてその首の皮が第3次再審請求によってばっさり断ち切られる確かな手応えを感じました。

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刑事弁護とは、検察の有罪立証の矛盾点を突き、裁判官に有罪立証に関して合理的な疑いを抱かせることにあります(その先、裁判官が無罪を書くかどうかは彼らの胸先三寸)。

そこでは、事件全体像の真相を必ずしも描く必要はありません。しかし、ここでは弁護団主張に囚われず、大胆に大崎事件のアナザ―・ストーリーを描いてみたいと思います。

まず事件の概要を、森炎氏著『教養としての冤罪論』冤罪ライン②「被害者家族が犯人とされる悲劇はなぜ起こる」と題された章(注2)から抜粋します。

「事故か事件かで争われたケースに、鹿児島・大崎の牛小屋殺人事件(1979年)がある。

このケースでは、有罪判決確定後に、いったんは事故の可能性を認めて再審開始が決定され、しかし、その後に、再び殺人事件とみなされて再審開始決定が取り消されるという経過があった。

鹿児島県の大崎町は、大隅半島の付け根に位置し、志布志湾に面する。蜜柑、メロンなどの果物栽培や黒毛和牛の畜産が盛んな土地柄である。その長閑な地域の裕福な農家の一族で起きた出来事だった。

一族の四男(40代)が自分の家の牛小屋の中で死亡しているのが見つかり、長男(50代)、長男の嫁(50代)、次男(50代)の3人が共謀して被害者である四男を殺害したとされた。また、次男の息子(20代)も死体遺棄を手伝ったとされた。

この一族は、広大な田畑を所有し、広い敷地にそれぞれ一戸を構えて住んでいた。屋敷は隣り合っていて、一つつながりの大きな敷地に長男、次男、四男各家族の三戸が建てられ、それぞれ牛小屋や倉庫を持っていた。

当時は、四男だけは、妻と離婚して一人暮らしだった。被害者の四男は酒乱で、たびたび兄弟に迷惑をかけており、妻が子を連れて被害者の元を去ったのも、酒を飲んで暴力を振るうのが原因だった。

事件は一族の婚礼の日に発生した。その日は、被害者の甥に当たる若者の結婚式が街中の料亭でおこなわれた。だが、被害者は、朝9時ころ、自宅で飲酒して婚礼には行かないと言い出し、被害者一人だけが欠席、親族が欠けた婚礼になってしまった。

甥の婚礼の席に出ないで被害者はどうしていたのか。後の捜査によって、その日の被害者の行動は、およそ次のとおりだったことが判明している。

午後3時ころに、近くの酒店で焼酎2本を購入した。3時半ころには、酒気を帯びて軽トラックを運転しているところを警官に停止させられた。5時ころ、自宅近くの農道を自転車に乗っている姿が目撃された。5時半ころ、前と同じ酒店でまた焼酎2本を購入した。午後6時ころ、自宅から離れた路上で半裸で寝そべっているのを通りがかりの知り合いに発見された。傍らには自転車があった。そのとき、服は濡れており、道の傍の用水路の中から焼酎の瓶が2本見つかった。1本は、中身がおおかた無くなっていた。酔って自転車ごと用水路に転落し、誰かに助け上げられ、そこに寝かされたものとみられた。

そして、その後は、路上で寝転がっている四男を発見した知人と連絡を受けた近所の人が協力して自宅に運び込んでいた。

被害者は、自宅に運び込まれた後、その晩から行方不明となり、3日後に、自宅の牛小屋で死体となって発見された。死体は堆肥に埋まっていた。発見者は、捜索に当たっていた親族の女性たちだった(被害者の実姉妹)。

この出来事は、絞殺による殺人事件として捜査され、前記のように、長男夫婦、次男、次男の息子が犯人として起訴された。

犯人とされた4人のうち、長男の嫁だけは捜査・公判を通じて犯行を否認した。その主張は認められなかったが、有罪判決(懲役10年)確定後も、冤罪を主張して再審請求を繰り返し、現在に至っている。

その再審請求の過程では、前述のように、いったんは再審開始決定が出るという経緯もあった。

後に取り消されたものの一度は裁判所が再審開始決定を出したのは、死因の点に疑問が出てきたからである。当初は絞殺と考えられていたが、頸椎の損傷が死因である可能性が濃厚となった。自転車ごと用水路に転落した際に致命傷を負ったのではないかという疑念が出てきた。

しかし、この事件の冤罪性は、典型的な事故死冤罪性とは異なる。

事故か事件かということで言えば、被害者の死体は牛小屋の堆肥の中に埋められていた。死体は完全に堆肥に覆われ、20センチから40センチの厚さで堆肥が体表面に被せられていた。単純な事故でないことは明らかだった。

また、犯行についての証言者がいた。次男の嫁が、長男の嫁と次男の間で取り交わされた殺害謀議を聞いたと証言していた。この証言の意味は重い。通常の目撃証言というにとどまらず、自分の夫が罪になるのを承知で敢えて証言しているからである。そして、その次男の嫁の証言は、最後まで変わらなかった。

そのため、事件の理解としては、どうしても、次のような見方が払拭できない。

すなわち、被害者の長兄や次兄や長男の嫁が、それまでも酒乱の被害者からたびたび迷惑を掛けられてきたうえに、その日は、甥の婚礼にも出ずに飲んだくれ、夜になって近所の人によって運び込まれてきた情けない被害者の姿を見て、もう完全に愛想を尽かすとともに、いっそのことそんな兄弟はいない方がましだと考え、とっさに殺意を生じ、順次、その意を通じたのではないかと。

もちろん、ここで、「大崎事件は冤罪ではない」などということが言いたいのではない。

死因について直前の用水路転落事件が影響しているとすれば、典型的な殺人ではなく、死体遺棄あるいは遺棄致死型犯罪の余地が生じる(その場合、堆肥の中に埋めたとしても殺人とは言えず、あるいは殺意ありとは言えない)。何らかの動機によりおこなわれた死体遺棄あるいは遺棄致死型犯罪だとすれば、内部者がおこなったとみる必然性は必ずしもない。被害者は、用水路へ転落した後、知人や近所の人によって一族の敷地内に運び込まれているわけであるが、当時一人暮らしであり、家屋内に運び込まれたところまで周囲の者が確認しているわけではない。

ここで言っているのは、冤罪実相ではなく、理念型としての冤罪性である。あくまで、それについての分析である。そして、冤罪性の様相がちがうということである。」

さすが元判事だけに、通常の事故死冤罪性とはパターンが異なるという鋭い分析がこの短い文章の中でなされていると思います。また「遊び」を残した言い回しになっていますが、読む人が読めば、森氏は真実に至っていると思わせる書きぶりです。

事件概要に関しては、こちらも参照下さい。
ここをクリック→ 冤罪ファイル その8 「大崎事件」

次回以降のブログで、大崎事件の真相に迫るべく、証拠に基づく推認を持ってアナザ―・ストーリーを構築してみたいと思います。

(注1)
ここをクリック→ 鴨志田祐美弁護士(えがりて法律事務所HPより)

(注2)
ここをクリック→ #検察なう (430) 「森炎氏著『教養としての冤罪論』解題(3)~冤罪ライン② 「被害者家族が犯人とされる悲劇はなぜ起こる」」

12/14/2015















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category: 大崎事件

2015/12/14 Mon. 23:57 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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