「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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#検察なう (525) 「大崎事件の真相に迫る (4) ~ 誰が死体を遺棄したのか」 12/31/2015 

#検察なう (525) 「大崎事件の真相に迫る (4) ~ 誰が死体を遺棄したのか」 12/31/2015

大崎事件の被害者が事故死であったことは前回のブログで述べたところです。

ここをクリック→ #検察なう (524) 「大崎事件の真相に迫る (3) ~ 被害者死因について」

それでは一体誰がその死体を遺棄したのでしょうか。そしてその動機は。それが大崎事件の最大のミステリーです。

死体遺棄罪(注1)の時効は3年であり、1979年の事件における死体遺棄罪の公訴時効は既に完成しています。また、大崎事件冤罪被害者の原口アヤ子さんの無罪の主張は、彼女が殺害に関与していないことが争点であり、誰が死体を遺棄したかという点は直接的に彼女に無罪性と関係するものではありません。しかし、このミステリーを解かずして、大崎事件の真相は明かされないと考えます。

大崎事件で、死体が発見されるまでの経緯を振り返ってみます。

死体発見の3日前の1979年10月12日、その日は、親類(原口アヤ子さんの夫であった長兄中村善三氏の甥)の結婚式が町の料亭で行われていました。四男の邦夫氏は、前日まで出席すると言っていながら、朝に善三氏が迎えに行くと、朝から飲んだくれていて行かないと言い出し、いくら諌めても聞かないので、皆は彼を置いて結婚式に行きました。

午後9時頃、アヤ子さん宅の南隣に住む部落の交通安全協会会長から電話が入りました。

「アヤ子ねえさんけ、いま小能部落の人から電話があってなあ、邦夫がまた酔っぱらって道で寝とるそうじゃ」

「じゃったですか、いつも迷惑ばかりおかけして、まこち、すみませんなあ。主人はもう寝とりますけん、すぐに私が行きもんで」

「よかよか、おまんさあも結婚式でだれやった(疲れた)ろで、あたいが行ってやるが、心配せんでもよかよか」

アヤ子さんは暫くして家を出て、迎えに行ってくれた人の家に行きました。彼は、近所の者と連れ立って軽トラックで邦夫氏を迎えに行った後でした。暫くの間、彼の奥さんと世間話をしていると、迎えに行った二人が連れ立って帰ってきました。

「アヤ子ねえさん来よったとな、わざわざ来んでもよかったとに」

「邦夫は家に下してきたで、心配せんでもよかよ」

という二人に、アヤ子さんは何度も頭を下げて礼を言い、

「それで邦夫の様子はどげんでしたか」

と尋ねました。

「金玉丸出しで、すっぽんぽんじゃ。溝にでもはまったとじゃろ。濡れたズボンが側にぬいじゃったど」

「まこちすまんことで」

「邦夫は土間に下してきた、濡れちょったで」

その後、アヤ子さんは邦夫氏の様子を見に行きます。

玄関の土間に下してきたと言われていた邦夫氏は土間にはいませんでした。アヤ子さんは「多分もう寝たのだろう」と思って、土間の小縁に手をつき、部屋の中を覗いてみました。二間続きの六畳の奥の間に布団が敷いてあり、薄暗い電灯の明りではっきりはしないものの、布団が微かに盛り上がり、こっち向きに頭らしいものが見えたので、アヤ子さんは、邦夫氏はもう寝たものと思いました。

その後、邦夫氏の姿を見た者はなく、3日後に邦夫氏宅の牛小屋の堆肥場の中から彼の死体が発見されます。

邦夫氏を迎えに行き、家に運び込んだ二人の検面調書は開示されています。家に戻って邦夫氏を運び込んだ際の、邦夫氏の様子に関する彼らの供述が全く食い違っていることは注目すべき点です。一人は、邦夫氏は意識が朦朧とし、受け答えもままならぬ状態だったとしたのに対し、もう一人は、邦夫氏は一人で歩いて家に入ったとしています。その食い違いは、彼らの少なくともいずれかは虚偽の供述をしていることを示しています。

また、邦夫氏が道端で酔っぱらって寝そべっていると目撃した者、そして彼からそのことを聞いて邦夫氏宅の近所の者(部落の交通安全協会会長)に電話をした両名のあるはずの員面調書は開示されていません。

これらはどのような意味があるのでしょうか。私は、大崎事件で起こったことは、映画『ハリーの災難』のようなものだと考えています。

映画『ハリーの災難』は1955年にアルフレッド・ヒッチコックが監督したもので、女優シャーリー・マクレーンのデビュー作として有名です。(注2)

『ハリーの災難』あらすじ (Wikipedia「ハリーの災難」より)
紅葉の季節を迎えたバーモント州のある小さな村。森の中でハリーという男の死体が見つかる。村では様々な理由で「自分がハリーを殺してしまったのでは?」と思い込む人物が何人もいたため、彼らはそれぞれの保身のためにハリーの死体を埋めたり掘り返したりすることになる。やがて村の保安官が動き出し、事態は意外な方向へ展開していく。

邦夫氏を迎えに行き、家に運び込んだ様子は誰にも目撃されていません。運び込んだ二人の供述は、邦夫氏の様子に関しては大きく食い違っているものの、「運び込んだ時には、邦夫氏はまだ生きていた」という点では一致しています。しかし、致命的な負傷をしていた邦夫氏が、もし家に到着していた時には、既に事切れていて、そして彼らがその死に直接的な関与があったと誤解したとしたら、パニックのうちに自分たちの関与を隠蔽するために死体を隠そうとしたという可能性は十分にあります。

死体を土間に放置した場合、彼らが最後に接触した人物であり、その死に関して疑われてしまう。それで死体を遺棄し、「自分たちが最後に見たのは、土間に置いた時であり、まだ邦夫氏は生きていた。自分たち以外の誰かが殺害し、死体を遺棄したのだ」と言い張れば、自分たちに嫌疑は掛からないと考えたというのは、冷静に考えれば愚かなことですが(土間に放置して自然死/事故死を装った方がより合理的)、人の死に際して、冷静な判断ができなかったと考えれば合点がいきます。

更に邦夫氏の死因に関しては、側溝に落ちた際のけがと考えられますが(側溝の深さは80㎝と相当あり、自転車で転落して致命傷を負うことは不思議なことではありません)、その現場を目撃した者はいません。もし彼が「道に寝そべっていた」のは、交通事故にあったためだとしたらどうでしょうか。邦夫氏が道に寝そべっていると目撃した者、それを聞いて電話を掛けた者、その電話を受け取って彼を迎えに行った者は全て親戚縁者でした。

映画『ハリーの災難』では、結局、ハリーの死因は心臓麻痺で、誰も彼の死因に関与していないのに、複数の人間が自分が殺したと勘違いしていたというストーリーです。大崎事件でも、誰も関与していない死を隠蔽しようとしたという可能性も考えられますが、交通事故死を隠蔽しようとしたという可能性も(推認に推認を重ねたものではありますが)ないとは言い切れないものです。

(注1)
刑法第190条
「死体、遺骨、遺髪又は納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得した者は、3年以下の懲役に処する」

刑事訴訟法第250条 
「時効は、人を死亡させた罪であって禁固以上の刑に当たるもの以外の罪については、次に掲げる期間を経過することによって完成する。
第6項 長期5年未満の懲役若しくは禁固又は罰金に当たる罪については3年」

(注2)
ここをクリック→ 『ハリーの災難』予告編

参考文献
鹿児島大学『法学論集』「再審の現在―大崎事件第三次再審請求で問われるもの―」中島宏
法学セミナー2012年3月号「大崎事件―つづら折りの事件史あるいは奮闘記」鴨志田祐美
法学セミナー2014年12月号「大崎事件第2次再審請求から見た刑事司法の課題」鴨志田祐美
『叫び 冤罪・大崎事件の真実』 入江秀子

12/31/2015












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category: 大崎事件

2015/12/31 Thu. 01:24 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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