「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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#検察なう (532) 「大詰めを迎えた国賠審 Part2~控訴違法に関する国側の言い分を認めることは国民全体の不利益」 2/15/2016 

#検察なう (532) 「大詰めを迎えた国賠審 Part2~控訴違法に関する国側の言い分を認めることは国民全体の不利益」 2/15/2016

海外から中世並みと揶揄される日本の刑事司法には、問題が山積しています。その中で、私がもしフリーハンドで何か一つ改革できるとすれば、私が選ぶのは検察上訴権の廃止です。

ここをクリック→ #検察なう (267) 「刑事司法改革のためにすべきこと」

先進諸外国では、「二重の危険」を招くとして認められていない検察官控訴(一審無罪判決に対する控訴)がなぜか日本では認められています。

私の刑事裁判でも、一審無罪判決(3/1/2013)に対して検察は破廉恥にも控訴しています。それにより翌年の無罪確定(2/14/2014)まで、更に精神的苦痛が延長したことは言うまでもありません。その検察官控訴のあり方に関して、私は自分の国賠審を通して、検察の指定代理人である東京法務局訴訟部の主張を注視してきました。

それは、あまりにもとんでもないものであり、彼らの主張が通るようであれば、私個人の問題ではなく、日本国民全体の不利益になるとすら感じる不合理さです。

説明させて頂きます。

本来、刑事裁判においては一審中心主義が取られています。刑事裁判の控訴審が事後審であることから、直接主義・口頭主義を一審において徹底させるために第一審の審理にエネルギーを割くべきだという考え方です。

事後審においては、審理の対象は事件の事実認定ではなく、あくまで下級審の判決そのものであり、審理をイチから「やり直し」をするものではありません。そして原判決が誤りであるという控訴理由は厳しく限定されています。その控訴理由の一つが「事実認定の誤り」ですが、その場合の取り決めが、刑事訴訟法第382条(注1)にあります。

素人的には当初、イチから審理し直して事実認定をし、原判決と違う結論を導き出すことと、原判決の事実認定が誤りであると指摘することには大差がないように感じたものですが、それは大違いなんだよ、と最高裁が判じたのが「チョコレート缶事件」(注2)と呼ばれる事件の判決でした。この最高裁第一小法廷平成24年2月13日判決の意義は、刑訴法第382条の事実誤認の定義を明らかにしたものです。

その判決にはこうあります。
「控訴審が第一審判決に事実誤認があるというためには、第一審判決の事実誤認が論理則、経験則に照らして不合理であることを具体的に示すことが必要であるというべきである」

つまり、「原判決が間違っている!」と言うからには、その判決のどの部分が不合理であるかを具体的に示す必要があり、その不合理というハードルが「論理則・経験則違背」という非常に高いハードルだということです。

ぶっちゃけて言えば、一審の判決を読んで一般常識からして誰が考えても「そりゃおかしいだろう」というものだけが事実認定に誤りがあるとしたのがその最高裁判決です。

野球で言えば、打たれたピッチャーにもう一度チャンスをやるからには、ストライクゾーンを狭くするよと言っているようなものです。審判はその狭いストライクゾーンじゃないとストライクを取らないと宣言したのが、チョコレート缶事件での最高裁判決でした。

そこでは、反対仮説を完全消去できているかを検討し論証せよ、ということでもあると考えます。判決は、シロないしクロをサポートする両方の証拠を基に判断されている以上、その一方の証拠だけを持ち出したのみで、反対仮説を完全消去する論証ができていない場合、原判決が間違っているという主張は誤りです。

しかも、その判決はこうも言っています。
「第一審判決に事実誤認があるとした原判断には刑訴法第382条の解釈適用を誤った違法がある」

つまり、不合理であることを具体的に示せという要請は、単なる事実上の要請に止まるものではなく、法的要請なのであり、この要請に応じないことが法令違反、刑訴法第382条違反となることをはっきり述べています。それに従わないことは法に触れるとまで強く言っています。

私の国賠審において控訴違法は争点の一つですが、それに関する彼らの主張は、
「平成24年最高裁判決は刑事事件における控訴審の審査の在り方を示したものであり、検察官による控訴申立ての判断基準を示したものでもなければ、検察官による控訴申立ての国賠法上の違法性判断基準を示したものでもない」
「検察官による控訴申立てが国賠法上違法と評価されるか否かの判断基準についても、公訴提起におけると同様、検察官において、控訴申立て時における各種証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば足りる」
というものです。

先の最高裁判決にもかかわらず、法の番人である検察が、「最高裁が何と言おうと、俺たちは俺たちのルール=起訴と同じスタンダードで控訴するし、それが法令違反だとは考えてない」というのが、私の国賠審での国側の主張です。

野球の例で言えば、アンパイアがストライクゾーンを狭くするよと言っているにもかかわらず、「そんなことは知ったこっちゃない。俺は俺のストライクゾーンがあるから、それに従って投げるまでだっつーの。それのどこが悪いんじゃ!」と開き直っているということです。

控訴違法に関する私の代理人チームの主張が、原告第10準備書面として提出されました。
ここをクリック→ 原告第10準備書面

先日2月8日の第9回口頭弁論で、この準備書面に対する被告の主張は「反論の必要なし」というものでした。「それって「反論できない」だろ」と出廷していた私は、代理人チームの先生方と思わず顔を見合わせて苦笑してしまいました。

検察が有罪になる可能性のない控訴をしてもいいというのは、どうみても国家権力による個人の人権の蹂躙です。これが違法ではないとは、一体全体どうしたらそういう主張ができるのでしょうか。またそうした控訴を許すことは、税金を湯水のように使っている検察による税金の無駄遣いを看過すること以外の何物でもありません。

誰しもが刑事被告人になる可能性がある社会で、検察のこのような控訴の判断を許すことは、国民全体の不利益です。もし「自分だけは刑事被告人になることはない」と思われても(それは、自分の経験から大きな間違いだと思いますが)、税金の無駄遣いがこのようになされているということはご理解頂ければと思います。

今後の刑事司法改革の前進を阻む大きな禍根を残さないよう、私の代理人チームは使命感を持って臨んでいます。是非とも変わらぬご支援をお願いします。

(注1)
刑事訴訟法第382条
「事実の誤認があってその誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかであることを理由として控訴の申立をした場合には、控訴趣意書に、訴訟記録及び原裁判所において取り調べた証拠に現れている事実であって明らかに判決に影響を及ぼすべき誤認があることを信ずるに足りるものを援用しなければならない。」

(注2)
ここをクリック→ #検察なう (318) 「「チョコレート缶事件」と論理則・経験則違背」

2/15/2016










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category: 国家賠償請求訴訟

2016/02/15 Mon. 02:05 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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