「蟷螂の斧となろうとも」 by 元外資系証券マン

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件(http://goo.gl/v0xQYP)において、国税局査察部告発、検察特捜部起訴の事案で史上初の無罪判決。 著書『勝率ゼロへの挑戦 史上初の無罪はいかにして生まれたか』(光文社)。 ツイッター(@thatta0529)で「#検察なう」の情報発信を続けます。

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嘆願書 (2/146) 八田彰 

嘆願書 (2/146) 八田彰

犯罪の契機は動機と人品だと思います。人品に関して、私の人物像を知人・友人に依頼して書いてもらったものが嘆願書です。146通集まりました。

今回は、私の父の嘆願書です。

私の実家は金沢で精肉店を営業していました。父はそこで大学に通いながら店を手伝い、以来、3年前に店を閉めるまで60年働いてきました。その実直で勤勉な人柄を知る人には、彼の背中を見て育った私が犯罪に手を染めることなど、それだけでも想像できないのではと思います。

長男である私にも、店を継ぐことを強要することなく、私の進む道を支持してくれました。それでも私が大学卒業時に外資証券の就職を決めた時は驚いたと思います。25年前の当時、外資系企業に対する認知度は、今と比較すると格段に低かったものです。私はその時の会話を今でも覚えています。
「アメリカの会社なんかに働いて大丈夫なんか。なんでも給料がえらいいみたいなこと聞いたけど、そんなもんで将来決めたらつまらんぞ」
「そんなんやない。東大卒業して日本の会社勤めてもつまらんがいや。なんやレールの上走っとるみたいで。わしは自分の可能性に挑戦したいんや」
「ほうか。ほんならなんも言わん。体にだけは気つけて頑張れや」

彼や母親に心配を掛けていることは親不幸の極みですが、私の意志・選択でこうなったわけでない以上、如何ともし難いところです。犬に噛まれて「噛まれてすみません」と言うようなものです。冤罪と戦争は国家の犯罪と言われます。そして、冤罪の被害者は被告本人は当然ですが、むしろその家族の方が辛いことが少なくないと思います。私は、国税局・検察の捜査当局に私に対して謝罪してほしいとは思いませんが、私の父と母には謝ってほしいと思います。無実だろうがなんだろうが機械的に「犯罪」を作り出す犯罪製造マシンの彼らにそうした真っ当な人間性を期待するのは無理なのかもしれませんが。

<嘆願書>

前略
私は八田隆の父、八田彰と申します。

この度、愚息隆が国民の義務である所得税の納税を怠った為、御庁の取調べを受ける事となると聞き、断腸の思いで、私自身も誠に申し訳なく心よりお詫び申し上げます。

小生は、先代祖父八田進と共に金沢で零細な精肉店を営んでおりました。先代は大変苦労をして、昭和八年に祖母と共に創業、第二次大戦徴兵を経て、復員後営業を再開しました。その後食文化の欧米化により、営業も順調ではありましたが、当時の池田勇人総理をして「肉屋で新聞を読んでいる者が何人いるか」と云わしめる程、業界の地位は低いものでした。

そこで隆は四人兄弟の長男として生れ、私と祖父母、家内の八人家族でした。私と祖父、家内が店を担当し、祖母が主に家事と子供の面倒を見てくれました。祖父は仕事一筋の明治の男、祖母は五黄の寅と云われる気丈な大正の女でしたが、二人とも孫には厳しいが、一方では優しさの溢れる人情味のある人々で、子供達の世話を本当によく観てくれました。

当時は店が日曜、祭日も営業で休みも少なく、毎夕食を九時過ぎで当時はそれが当たり前だと思っていたのですが、今から思へば、子供達には想い出の少ない本当に可哀想な事をしたと思ってをります。

祖母の影響からか、隆は読書が好きな子供でした。また一才違いの次男浩とはよく兄弟げんかもしていましたが、お兄ちゃんだから謝れと言っても、自分で悪いと思わない時には絶対に謝らない強い性格も持っていました。それでも、弟や妹の面倒をよく観てくれた優しい心も持っていました。

平成十二年祖母が八十五才で脳幹梗塞で倒れ、八十八才で他界するまで、一度も意識が戻ることはありませんでした。当時運ばれた国立の大学病院では長期の入院が許されず、当時新設された老人専門病院に移りました。その頃より消費者の健康志向から食肉の需要が減少する中、O157事件、狂牛病事件が相次ぎ、大型店舗進出に伴って、店の経営の状況も厳しくなってをりました。その状況下で意識不明の状態がいつまで続くか分からない祖母の入院費は少なからぬ負担でした。より入院費が安い遠路離の病院を探して転院もやむを得ないといった状況であった時に、隆は自ら申し出、平成十五年三月の死去の時まで三年間、毎月二十五万の入院費を負担してくれました。経済的負担から家族や親族が祖母を重荷に思わない様、配慮してくれたのだと思います。隆の叔母である私の妹三人も大変感謝してをりました。

その上、三月に祖母、同年七月に祖父が相次いで死去した時には、隆が先頭に立って取り仕切り、世間に恥じない葬儀を行うことが出来、今更ながら感服致した次第です。

隆は、私や祖父が無趣味で仕事一本やりの人生だったのに対し、ハードな仕事のストレス解消の為か、趣味はかなり広くもっている様でした。

所で、店の方も売り上げが一頃の半分以下に落ち込み、私も七十六才を迎へ、足腰がかなり弱り、昨年平成二十一年三月に、家内の股関節骨折を機に、先代より七十五年余り続いた店を私の責任で閉店致しました。その際に、隆は銀行への借金の返済、設備投資のリースの解約の交渉等々、精神的、経済的援助を惜しまず、私は感謝の念で一杯です。

今は、私は余生を静かに過ごし、人生の幕を閉じたいと願ってをりました。我が子の処分が心の大きな重しとなってをります。

愚息隆も、納税義務に対する浅学を恥じ、深く反省してをります。

我家の家訓とも云うべく先代よりの口ぐせの「勤倹譲」又「二度と同じ過ちを繰り返すな」の精神をよく心に刻んで社会福祉に貢献できる様な人生を送る様諭しますので、何卒寛大な御処分を心よりお願い申し上げます。           草々

平成二十二年春
彰拝

<以上>


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category: 嘆願書

2012/01/08 Sun. 12:23 [edit]   TB: 0 | CM: 0

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